こんにちは
あゆです。
新しいセッション受ける。
寺尾一則さんの「思考の整理整頓セッション」を先日受けました!
FBで、ニッコニコで写真に写る人の良さそうな寺尾さんに惹かれ、話してみたいなぁ!と思い、すぐにセッションを申し込んだ私でした!
寺尾さんは、長く介護職員をされていて、うまく言葉にできないお年寄りの介護をされてきた方で
言葉の奥にあるものを汲み取ってくださったりするのが、とても上手な方でした。
うまく話せなくても、言語化してくれて
自分じゃ気づかなかったことも気づかせてもらえて、
とてもスッキリしたセッションでした!
90分のセッションが、あっという間で、私はちょっと時間オーバーしちゃった
小さい頃から…
小さなあゆちゃんの周りには、怒っている人がずっといた、という真実。
なんとこの道40年くらいの大ベテラン!
(いや嬉しくないやん)
気づいたら、
母
妹
幼稚園の同級生
小学校の部活の先生
中学の同級生
高校の同級生
職場のおじちゃん
夫
義母
義姉
義妹
大人になっても、怒ってる人、側にいるわ。
(今は、義一家)
「もう長いこといたし、そんな中に今もいなくてもいいんじゃない?」
「自分は怒られる存在、なんて、つらかったよね」
と言われて、
ほんとそうね!!と激しく共感したセッションでした。
怒られて、嬉しい人なんて、いないよね。
穏やかに、楽しく、自分の人生を生きていきたい。
私の思春期。
自分は幼少期から体験しているから「怒ってる人がいる〜、スルーしていこう〜」が、自然と身についてしまっていた。
母は、私と年子の妹、5つ下の弟の子ども3人の育児、目の見えない義母との暮らしをしてました。
父は営業マンだったので、早く出て、遅くに帰宅していたようなので、今でいうワンオペでした。
大人になって、自分も子どもができてから義母と同居して子育てをしていた母の大変さはよく分かりましたが、
小さい時はすぐ怒って怒鳴る母は、嫌だったなぁ〜。
中高の時は、母が口うるさく感じていて、
当時は食事以外は基本的に自室に閉じこもっていて、
父が帰宅してからリビングに顔を出すような子でした。
母とは、ほとんど口を聞かなかったなぁ。
話せば不機嫌になっていたから、相談とかもしたくなかった。
その頃の母は勤めていて、専業主婦ではなくなったので気分転換にはなっていたらしいです。
でも、部活のことなどを話したりしても
「後でね」
「忙しいから」
「ふーん」
といったように、あまり話を聞いてくれなかった記憶。
なので、子どもには興味ないように感じていました。
その点、父は三者面談には絶対来てくれていたし、
相談などしても黙って「そうか」と話を聞いてくれていたので、
なんでも話していた思春期でした。
子どもを産んでから
長女を帝王切開で出産した時、麻酔が覚めて目覚めた時にそばにいてくれたのは、母でした。
今思うと、母の愛だなぁ、と思います。
その後、回復室から部屋へ移動した時に一緒に泊まり込みで母も居てくれたけど、
学生時代に話をしなすぎて、何を話していいかわからなくて、あんまり話はしなかったなぁ。
結婚当初は夫の希望で、仕事を退職して夫の家に嫁ぎに行っていました。
実家との距離は車で2時間弱くらい。
それでも、孫の顔を見せにちょこちょこと実家へ顔を出しに行ったりもしていましたが、
長女を産んだ時は父も母もまだ47歳と働き盛りの時で両親とも忙しかった時でもあったので、
せっかく実家に帰っても昼間は1人で面倒を見ている、といった感じでした。
そんな中、長女が1歳、長男がお腹にいる時に転勤が決定。
そこで地元を離れてから、ようやく電話では話すようになってきました。
親も仕事があったので隣県とはいえ『来てほしい』なんて言えなかったし、
実家よりももっと遠い義母にはもっと頼れず、
「1人でも頑張らねば!」と見知らぬ土地で年子のワンオペを頑張っていました。
我慢、我慢…!
今思うと、すごく我慢ばかりしていた、幼少期〜思春期〜大人。
今やっとそれに気づいてあげられて、自分を解放してあげられそうです。
自分は後回し。
子ども優先!夫にもやってあげなきゃ!
それだもの、体調も悪くなるわ。苦笑
自分の身体の声をよく聞いてあげようと思います!
皆様も、ぜひご自愛くださいませ。