NHK 4K番組の録画『三星堆』 | ◎◎◎への道

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中国 謎の古代文明『三星堆』 

初回放送日: 2024年3月2日

中国・四川省の大地から出土したおびただしい数の奇怪な青銅器。誰が、なぜ作ったのか?約3千年前に存在した謎の古代文明の姿が最新の科学調査によってよみがえる。

 

 

録画していたのをじっくり視聴。

今から3000年ほど前の文明の遺跡が四川省から見つかった。

その時代はちょうど

中国の殷の時代と銅時代だが、場所違う。

 

この三星堆遺跡では2メートル以上の青銅の人の像や、

大きなお面など、

宗教的な大掛かりなものがたくさん出ている。

 

どんな物語がこの文明にあったのか。。

 

そして、

この文明が消えてしまった後、

別の土地で

その子孫が細々と面を作ったりしている。

 

こういう文明、そして

子孫の村がいくつもあるのではないだろうか。

 

4K画質で録画しているので、実に高画質で博物館にいるように見ることができたのはありがたい。

 

 

 

中国の番組がYouTubeにありました。

 

 

 

wikiより

三星堆遺跡(さんせいたいいせき)は、長江文明に属する古代中国遺跡の一つである。1986年に中国の四川省徳陽市広漢県の三星堆で発見された。

概要

紀元前2000年頃もしくはそれ以前と考えられる極めて古い時代に属する三星堆遺跡とその文化は、約5000年前から約3000年前頃に栄えた古蜀文化のものである[1]。三星堆遺跡自体は、1929年の春に当地の農民が溝を掘っていた際に玉器を見つけたことで、1931年イギリス牧師であるVyvyan Henry Donnithorneによって発見されていた[1]。しかし、長く本格的な発掘はなされず、1980 - 1981年に、初めて四川省文物委員会等により本格的な発掘調査が行われて、大規模な住居跡が発見された。以後、発掘が継続して行われ、1985年10月までに、東・西城壁跡が発見されて、本遺跡が古蜀王国の都城跡と見られるようになった。さらに、1986年には本遺跡の上限が約5,000年前と見られるようになった。また、各種の貴重な玉器金器青銅器等が出土し、以上の成果により、1988年1月、国務院は本遺跡を全国重点文物保護単位に指定した。発掘調査はさらに継続され、1996年秋には日中合同の磁気探査などの科学的調査が行われた。2005年に基本的な発掘調査を終え、現在整理研究中である。以上の発掘調査で、本遺跡は東城壁跡約1,100メートル(ほぼこの延長線上に第二展示館がある)・南城壁跡約180メートル・西城壁跡約600メートルが確認され、北を鴨子河とする城壁都市であることが分かった。三星堆遺跡(三星堆文化)は新石器時代晩期文化に属し、上限を新石器時代晩期(紀元前2800年)とし、下限を初期(紀元前800年)と、のべ2000年近く続いた。4期に分かれ、第1期は4,800 - 4,000年前で、龍山文化時代(五帝時代)に相当し、石器陶器のみである。第2・3期は4,000 - 3,200年前で、時代に相当し、青銅器玉器が出現し、宗教活動が盛んとなり、都市が建設される。第4期は3,200 - 2,800年前で、末・初期に相当し、精美な玉器青銅器が製作され、大型祭壇・建築が築かれる。遺跡地区は鴨子河南岸に沿って東西5,000 - 6,000メートル、南に2,000 - 3,000メートルに広がり、総面積約12平方キロメートルで、全体が保護区となり、城壁跡内を含む重要保護区の面積は6平方キロメートルである。

三星堆遺跡からは異様な造形が特徴な青銅製の仮面や巨大な人物像が多数出土している。三星堆の遺跡および文物の発見は 3・4千年前の中国の長江文明古蜀王国の存在と中華文明起源の多元性を証明する有力な証拠となった。