哲学化されなかったお産 | 自分らしさを追求する女性セラピスト  Hitomiのブログ

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女治療家ひよっこダンサーがお伝えする「できる女」の作り方

こんばんは。

今日は、少しこむずかしいお話をします。


大昔から、人(女性)は子どもを産み、子孫繁栄させてきたからこそ、今の私たちがいるわけです。

しかし、いかに産むか、お産がどうあるべきか、といった美学、哲学はほとんど語られていません。

いかに生きるか死ぬか、そういったことは昔から哲学があり、宗教でも多くの人が永遠のテーマとして考えてきました。


何故お産にはないのでしょうか。


これはもしかしたら、男女の差にあるのかもしれません。男性は論理的で、なんでも概念化、意識化するのが得意ですが、女性は本能的、無意識的にものごとをとらえる傾向にあるからです。

あと、出産前後はもうそれどころじゃない状態になるというのもあるかもしれませんが…


女性にしか子どもを産むことができません。その女性たちが、お産を概念化することにさほど興味がなかった。


出産は、生殖に関連するので本来、本能的で動物的な行為です。


意識の世界と無意識の世界では無意識の方がずっと広く、奥深いものだと考えられます。

主に大脳新皮質ではない古典的脳、大脳辺縁系は、完全に無意識の世界、生存に必要な動物的な機能を司る脳です。


つまり、過去の女性たちにとって、出産という動物的な、無意識の世界が司る行為をわざわざ意識の世界で概念化する必要がなかったのかもしれません。


そこに医学→産科学という男性が作った論理(意識の世界)が持ち込まれてきた。
医学というのは元々男が考えた論理です。


ここで、ある本からの引用です。


・女性は、論理的ではないと言われると、バカにされたような気がするかもしれません。しかし、論理的であるということにどれほどの価値があるでしょうか。
(無意識の世界の方が深いからね)

・女性はお産というもっとも女性的である部分に、自立性を持たなければならないと私は思います。ゴロゴロしてパクパク食べて、いいお産ができないような状態にしておいて、それで困ったことを男の医者に持ってきてお願いしますというようでは、女の自立なんてとんでもない。それでは、本質の部分において自立していることにはなりません。

・そうした(男性が作った)医学のありようの中では、女性はまるで人格のない肉体でしかなく、対象として扱われる。
一人の女性として、尊重されることはありません。
だから、会陰切開などという性器をザクっと切る発想が生まれたのだと思います。
女性を愛おしいという思いがあれば、いかに安全のためとはいえ、すぐに腹を切ったり、会陰をザクザク切るなどという発想は出てこなかったはずです。
女性の性器といえば、男にとっては最高に美しく、セクシュアルで気持ちがよくて大切なものです。それを破壊するという行為を続けてきたということは、いかに科学が女性の人格を尊重してこなかったかという証拠です。




(お産!このいのちの神秘
      ~二万例のお産が教えてくれた真実~
から引用)


ある種、衝撃を受けました。


いかに現代の女性たちが、本来の女性が持つ能力を忘れさせられているかということに。


男性社会で生き、男性にも負けないキャリアを積む素晴らしい女性が増えてきた現在ですが、

考え方まで男性の真似をして大脳新皮質を酷使して

本来の女性的な部分が発揮しにくくなっているのかもしれません。


女性のもつ本能、感情つまり自分の身体と心の声に素直にしたがったとき、
本来の素晴らしい能力が発揮されるんじゃないかと、私は思います。


女性は、女性らしさ(表面的な意味ではないですよ)で勝負すればいいんじゃない!ニコニコ


以上、
男らしいと言われ、誰かさんにサムライと呼ばれるHitomiからのメッセージでしたシラー