「いわきサンステージ」内覧会>
大型テレビもホールにありました。
個室には収納スペースとトイレを完備、
窓側が真南になっています。
1週間の曜日毎の活動計画です。
介護状況について 母のサポート>
5月初旬に母親が室内で転倒し、自力で立てなくなってから約4ヶ月。この間、本当に介護の大変さを身をもって実感させられた。ブログに手をつけるゆとりもなく今日まできた。やっと今落ち着いた段階で、自分の心の整理も兼ねて経過等をまとめてみた。自分なりにはよく頑張ったほうだと思っている。よく「介護する人はボケない!」と言われるが、全神経を使って他者の身になって考え、行動するということを自然とさせられていたと思う。一時は、体重が3キロほど落ちたときもあった。
しかし、苦労した分、様々な方たちとの人間的なつながりや介護についての知識やスキルを実践的に学ぶことができ、自分としては貴重な体験をしたと思う。そしてこれは私だけの問題ではなく、今後の高齢化社会の様々な問題や課題が含まれており、誰にでも起こりうる共通の課題であることも分かってきた。
母が筋力低下とその原因となる栄養不足や運動不足、、、具体的には血中の「アルブミン」値の低下がある。人間ドックの数値だと4.1以上の数値であればタンパク質等の摂取は十分であるという。母は3.1以下で低い時は2.7ほどであった。
また母親はリウマチの一種である「混合性結合組織症」という体質を持っているので82才の高齢化とともに身体の保持や移動が日に日に困難になってきた。
それでも本人は自由を謳歌したいという気持ちと、デイケアー等の外部施設へ出向くことの億劫感で1日中家の中にいた。日中はやはり心配なので1日に2回は身の回りの世話をする「ヘルパーさん」を依頼してなんとか過ごしてきたが、5月以降は週に2度転倒し起き上がれなくなり、夜中に部屋にかけつけ、トイレの世話や食事の世話をつきっきりですることが多くなった。
「特別養護老人ホーム」はなかなか空きがなく、本人も入りたがらず互いに感情的になり、喧嘩をすることもあったが、ある面で気丈な母親の言うことも理解してきた。
さすがに6,7月と進むにつれて食事や排泄の世話や買い物等で時間に追われ、息子の私の体もまいってきてしまった。日々のブログづくりも滞り、洗濯や掃除、ゴミの始末など様々な仕事が入ってきた。栄養を考えて休日は本人の好きな料理を作ったり、ケンタッキーフライドチキンをドライブスルーで購入しにいったり、お寿司のセットをスーパーで買ってくることもあった。いろいろな食事を考えたが、食べる量も少なく、気ままなので栄養はやはり不足していたのだろう。
テレビ番組でも最近は介護問題や認知症問題を扱った番組も多くなり、勉強する機会もできたが、高齢者が昼間家に独居というのはやはり大変なことであることを痛快した。国はできるだけ家族や地域で高齢者を支える方針を前面に出してきているが、実際は施設に入れたくても受け皿が少なく、困っている人のほうが多いと思う。結局、国はできるだけ社会保障を押さえる方法にいるのだと思った。ましては人材不足、、、介護職の人材は取り合いである。
特養(特別養護老人ホーム)には来年度からは介護認定3以上でないと入れなくなってしまう。特養はあまり数が増えないが、介護付有料老人ホームやサービス付き高齢者住宅(サ高住)も進出してきている。特養が月額15万円ほど費用がかかるとすれば、サ高住はそれより少し高く20万円ほどになってしまう。その間の施設としては、リハビリ目的で自宅への復帰を目指し、3ヶ月更新で入所する老人保健施設(老健)がある。リハビリ目的なので、理学療法士や作業療法士、そして認知症等の専門家である言語療法士を備えているといった特色がある。あなり長くは居られない、、。
私の手でもさすがに世話が行き届かなくなったので、主治医の紹介状ともとに、検査と点滴を兼ねて総合病院に入院させ、少しでも元気を取り戻すことをねらった。
しかし、病院はあくまでも病に対処するという施設、、、介護施設ではないので、ある程度回復し医療行為が必要なくなれば退院を迫られるのが普通です。
母の場合は、その病院の支援相談員(ソーシャルワーカー)の方に老健で空いている所を市内中さがしてもらった。
運よく自宅から近い老舗の老健?で空きが一つ見つかり、さっそくその老健と交渉をしてなんとか住み替えができた。
8月初旬から老健の個室に入り、母親はリハビリや3食の食事をきちんととり、以前より元気なってきたのがうれしい。車イスの使い方も上手になってきた。所員の名前もだいたいは覚えたようで明らかな認知症はまだ現れていないようだ。
母親は心の底では、まだまだ自宅に帰りたいのかもしれないが、
「世界で一番住みやすい所を見つけたよ!」と前々から繰り返して話していたせいか、実際に老健の中で小集団の生活にもやっと慣れてきた様子で居心地は良さそうである。あれほど毛嫌いしていたとは思えないほどである。慣れか、、、悟りか、、、。
9月の半ばには、最後の住み替えをする。新しくオープンする
介護付有料老人ホームである。
気になるのは生活費であるが、特養よりは少し高めになるようである。また普通の賃貸アパートのような敷金に相当する入所金がかかる。ここは、約40万ほでである。
しかし、その分、インフラ整備は素晴らしく、内容のクロスひとつにしても部屋によって個性があり、しかも共有スペースは広く施設全体に車椅子でも余裕で移動できるのがいいと思った。
9月15日「敬老の日」にオープンの「サン・ステージ」
「利便性」はお金では変えません。施設の周辺にどのような
自宅から3㌔ほどで利便性が有り、個室で快適なインフラ整備済の2階立て住宅である。職員と入所者の割合は1対3である。
まだまだ母は耳は少し遠いが、しっかりしているのでこの次の環境に慣れてくれると信じている。
自宅→総合病院(2週間)→老健(1ヶ月半)→介護付(ずっと)
転倒して介護が必要になったときから大変だったことは、
①不意に介護が必要になるので心の準備がない。
②立たせる等の基本動作をどうサポートするかの知識不足
③身の回りの食事、衣服、衛生面での高齢者対応の知識が必要
④金銭管理(新聞、お弁当、他、外部との関係)
⑤介護保険の有効な使い方(要介護3の母)
⑥一番辛いのは本人、、、どう気持ちに寄りそったらよいか。
介護の問題、認知症の問題、、、これは最後には自分自身にもふりかかってくる現実問題である。ひいてはどうやって生き、どうやって逝く(死ぬ)かの問題に直結する。
母の介護を通して、考えさせられることが多々あったのでここに記録として残しておくことにした。下記のHPでも大変勉強になった。
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif)
★介護関係の基礎知識の学習HP
下記のHPで基本的なことを学びました。
介護士さんやソーシャルワーカーさんと
お話していると業界用語が
出てくることがあります。
どこがどう違うのかよく分かりませんでしたが、少しずつ分かってきました。