今夜も月が綺麗です。
こんな時間になって「お米」がきれていることに気付き、
慌ててこっそり近所のスーパーに買い物へ。
月輪を見て心に幸福感が広がりました。
ふと、今日のセッションを思い出して考えました。
「ポシティブ」になりたい
「ネガティブ」だからダメ
こんな言葉を良く聞きます。
自分で自分のことに判定下しているようで
そんな言葉を聞くと心が痛みます。
この二つは切り離せるものではなく、
それぞれが全体性を包含しているもので
本当は「良い」「悪い」もないものと思っています。
自分で自分に判定を下し、「ダメ」とハンコを押す事ほど、
自分を傷つける事はないように思います。
すべて含めて自分なんだと受け入れる事が出来たとき、
どれだけ安心感に包まれることでしょう。
どれだけの癒しが起こる事でしょう。
昔、お寺で禅を組んでいるとき、
どうしても「無」になれず、
雨の音、虫の声、川のせせらぎ、人の咳払い、
すべてが耳に入るたび、その音にとらわれ、
「あぁ、いけない!無にならなければ」と心の中で葛藤を繰り返しました。
お坊さんに言われたことは
「すべていけないと思うのではなく、そのまま流せばいいのですよ。
あぁ、雨が降っているな。虫がないているな。川のせせらぎがきこえるな..
いけないと思うと心の中に留まってしまいます。
そのままを受け入れるだけで、心から放れていってくれます。」
目からウロコでした。
この言葉は後におおきな助けになりました。
自分の中で認めたくないことも
「判別」している自分さえ、「判別している自分がいるな」と
どっぷり自分に浸るのではなく、少し自分から距離をおいて
客観視出来る目を持つとおおきな気付きを与えてくれる事になります。
気付きがおこると一つ、ほころびがとれます。
一つ、自分が好きになります。
そんな人のステキな変化を見つけて行ける日常に感謝です。