蜜蝋蝋燭作りをしました。
鍋に溶けた蜜蝋に何度も何度も紐をつけていくことで
蝋燭はどんどん太くなり、仕上がって行きます。
輪になって子供達が順番に蝋燭を作って行く間、
内面に向かうのを助ける為に
私は端でキンダーハープを弾く、、、と言う役目だったのですが、
甘い蜜蝋の香り、子供達の嬉しそうなひそひそ声、
美しいハープの音色←あ、私が弾いてるんですけど 笑
なんどもコックリ、、、と眠ってしまい、、、
でも、弾く手は止まっていなかったそうで 一安心。
ステキな蝋燭がたくさん仕上がりました。
丁度、娘も幼稚園で蜜蝋蝋燭を作って来たので
我が家では今、毎晩の就寝前の蝋燭は順番交代です。
さて、クリスマスイヴは
昼間からガトーショコラを久しぶりに焼き、
子供達と飾り付けをし、早めの夕食をとって
子供達に初めてミサを経験させて上げよう~と
近くのフランチェスコ教会のへ。
大聖堂に入るとやはりあの空気感にじんわり涙が。
自身の本質に、深く聖堂に対する思いがあるのを感じます。
しかし、今日はどうでしょう。
ミサが始まるとどうにも居心地が悪くなってきて、、、
「罪深き子」「ゆるしたまえ」「あわれみたまえ」
去年、自分の中の奥深い部分に眠る、
大きな「罪悪感」というものに、
どどーーんとぶち当たることになったのですが、
「ゆるしてください」では開放はされなかったものです、、、私の場合は。
深く根ざした「罪悪感」を手放すことが出来た時、
自由の世界に大きく放たれます。
私のその経緯はまたの機会にお話するとして、、、
誰しも、多からず少なからず心の中に「罪悪感」を持っていると思います。
子育てをしていても思います。
「こうしないと こうなるよ」とか
「ほら、ごらんなさい」
「罰があたるよ」
先を見通す力を与える事と、罪悪感を植え付ける事には大きな違いがあります。
どれだけ無意識のうちに、
人は罪悪感を植え付けられて来た事でしょう。
「生まれながらにして罪深き」は
「生まれながらにして神聖」と 今は思います。
最後、施しのパンが配られますが、
信者のみ、、、ということでした。
信者でない私たちの前は通り過ぎて行ったのです。
子供達に「なぜ 僕たちにはパンはないの?」と聞かれ、
答えに困りました。
神は選人すると、誰が言えましょう!
貧しく、みすぼらしい姿のフランチェスコの銅像と
華やかに着飾った司祭の姿と、
クリスマスの装いの田園調布の裕福な方々の姿のコントラスト、、、に言葉を無くしました。
そして、
私たちはイエスさまと聖フランチェスコのあたたかいエネルギーを受け取り
帰宅しました。
そのエネルギーは教えてくれます。
神聖なる神殿は心の中にあるものだと。
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