妖怪 五徳猫 ( ごとくねこ ) をご存知ですか? | 伊豆高原「怪しい少年少女博物館」のブログ

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レトロで可愛くて気持ち悪い。伊豆高原「怪しい少年少女博物館」の展示品などを紹介します。





怪しい少年少女博物館の2階右手奥の妖怪のコーナーに展示をしている荒俣宏の奇想秘物語 陰陽妖怪絵札 陽の巻 の五徳怪 ( ごとくあやし ) のフィギュア。正面向かって右側から見た所

 





正面向かって右斜めのやや下側から見た所。火吹き竹で火を起こしている所なのですが、火をクリアーパーツで表現する等、手抜きのない仕上がりです。さすがは海洋堂製です

 





正面のやや上方から見た所。五徳を逆さまにして冠のように頭に被っています。サイズは高さ約5cm、幅3.5cm、奥行き5cmで、ボトルキャップタイプのフィギュアです。塗りも細かく、サイズを超えた存在感があります






顔を正面から見た所。三つ目になっています。鳥山石燕が描いた五徳猫の絵をベースにして造形化したものと思われますが、三ツ目になっていたり、服を羽織っていたりと、異なっている所もあり、他の五徳の付喪神の絵も参考にしているようです






正面向かってやや左斜めの下側から見た所。石燕の絵には乳頭が描かれていますが、お腹もきちんと造形されているようです

 





石燕が描いた五徳猫は、あまり猫らしく見えません。このフィギュアの方が、より猫らしく見えます






ちょっと 写りが暗くなってしまいましたが、正面向かって左側から見た所。どの角度から見ても巧みに造形されています

 





背中側から向かって、やや右手から見た所。尻尾が二股に分かれています。石燕の絵にならったものですが、これを根拠にして、五徳猫を猫股の一種と見る人もいます

 





背後から見た所。尻尾の先にも火が燃えています。やはり只者ではありません。こちらにもクリアーパーツが効果的に使われています。妖怪ウォッチのジバニャンも尻尾が二股に分かれて、その先に炎か人魂のような物がついていますよね

 





真上から見下ろした所。髪の毛も炎がたなびいたようになっています

 





五徳怪を展示している辺りの様子。この画像の中央の、前から2列目に展示をしています

 





江戸時代中期の絵師の鳥山石燕が画図 百器徒然袋 ( がず ひゃっきつれづれぶくろ ) に描いた五徳猫 。尻尾が二股に分かれており、猫股を思い起こさせますが、あまり猫っぽくありません

 

 


五徳猫って、どんな妖怪?

昭和や平成以降の妖怪図鑑等の五徳猫についての解説では、自分で火を起こす年老いた猫の妖怪としているものが多いです。そして、普段は囲炉裏端等に寝そべっているが、人がいなくなるとふいに活動し出す等と書かれています

 

しかし、これは鳥山石燕が描いた絵をもとに推測して書いたものに過ぎないと言う人もいます

五徳猫は鳥山石燕が創作した妖怪で、百器徒然袋に描かれています。頭に五徳をのせ、火吹き竹を吹いて火を起こす姿で描かれています。五徳は、やかん等を火にかける際に立てる輪型に脚が付いた器具ですが、五徳猫は、それを本来の使い方とは逆の逆さまにして、冠のようにして被っています

丑の刻参りで、藁人形を打って呪詛をする時も五徳を同じように逆さまにして頭に被り、その足の先にロウソクを立てて、明りとりにするのを思い起こさせますが、五徳猫の場合はロウソクを立てている訳ではありません

尾が二つに分かれているので、猫股の一種と言う説もあります

石燕は、この絵に「 七とくの舞をふたつわすれて五徳の官者と言ひしためしもあれば この猫もいかなることをか忘れけんと夢の中におもひぬ 」と言う解説をつけています

平家物語の作者とされる信濃前司行長 ( しなののぜんじ ゆきなが ) の伝承には、唐の舞曲の七徳の舞のうちの二つの徳を忘れ、五徳の冠者と言う あだ名を付けられたのきっかけに隠遁したと言う話があります。石燕は、それを引き合いに出して、器物の五徳を冠にしている事と、五徳の冠者を語呂合わせにした物と思われ、「 この猫は何を忘れたのだろう?  」としています。五徳の本来の使い方を忘れてしまった妖怪として描かれているようです

 

妖怪研究家でもある京極夏彦氏は、猫の乳頭は通常は八個あるのに、石燕の絵では五個しか描かれていないと指摘していますが、それが五徳猫が忘れた事に関係があるのかは不明としています
 

 

 

 

 

 

京都大徳寺真珠庵が所蔵する、室町時代の作品で、土佐光信 ( とさ みつのぶ ) が描いたと伝わる百鬼夜行絵巻に描かれた五徳の付喪神

 

三ツ目で、緑色の服を羽織っています。猿のような得体の知れない動物が五徳を被った姿で描かれています

 


 

 

百鬼夜行絵巻は室町時代から明治・大正時代頃まで様々な画家によって模写されたり、描かれたりしました。こちらは江戸時代中期の絵師、狩野元仙 ( かのう げんせん ) が百鬼夜行絵巻に描いた五徳の付喪神

 

石燕の五徳猫より早い時期に描かれたものです。こちらも三ツ目になっていますが、これは犬バージョン? この絵を石燕が知っていて猫バージョンを描いたかどうかは不明です

 


石燕の五徳猫より古い時期に描かれた百鬼夜行絵巻にも、五徳を頭に乗せた妖怪が描かれています。古い五徳が化けた付喪神として描かれているのですが、火吹き竹を持っている点もさる事ながら、見かけが石燕の五徳猫と似ています

 

五徳猫は、あまり猫っぽくなく、むしろ狸か何かのように、見えますが、先輩達の絵を踏まえているからとも考えられます。百鬼夜行絵巻の五徳の付喪神を、石燕が猫バージョンにしたものが五徳猫と言えるのかもしれません

 

とすると、五徳猫は化け猫が五徳を被っていると言うより、古い五徳が猫に化けた付喪神と考えた方が、より正しいのかもしれませんね





 

 

怪しい少年少女博物館の入口の左側の植え込みにセンリョウの実を見つけました。自然に生えたものですが、今は花が少なく、彩りが乏しい時期なので、ちょっと嬉しい存在です

 

 

 

次回もお化けや妖怪の話が続く予定です