神職が語るお賽銭ミッションの真髄と裏事情 | なかいま ~ただこの瞬間を

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過去から未来へと、連綿と続く時間の中で、その「中」である「今」を生きる。という言葉です。

なかいまを生きるとは、今この瞬間の自分自身を、全力で経験するということ。

ハムスターのちょびのすけに、常に全力で振り回されています(笑)

心屋さんのお賽銭ミッションについて、神職が語ってみますよ。

 

 

 

心屋繋がりでこのブログにたどり着き、毎日ほぼハムスターの事しか書いていないのに

フォローしてくださっている変わった方がそれなりに居られるので、

もしかしたら需要あるかもしれないと思って(笑)

 

 

心屋で、1万円札をお賽銭箱に入れようミッションがあることはご存知でしょうか。

あれは、お金に対するメンタルブロックを外すための、謂わばショック療法です。

 

ちなみに神職の業界では、他の神社にお参りに行った際に「一本包む」という暗黙のしきたりがあります。

つまり、手土産とともにのし袋に包んだ一万円を、初穂料として相手の神社に奉納するんです。

※これ、ぢんさんも知らないだろうなぁ。

一万円札ミッションは、まさに神職同士の暗黙のルールを、誰でもできるようにしたものだなあと個人的に感じています。

 

 

神職同士で、相手の神社に訪問する時には必ず一本包みます。

行き来すれば、一万円は行ったり来たりします。

※正確にはそんな事を当て込んで包んでいるわけでもありませんし、一方的に訪ねたり、納めた初穂料に対して過分すぎるお下がりを準備して頂いていたりすることも多いのですが、それを当て込む気持ちを持たない、本当に奉納し合うという心持ちなんですよ。

 

お賽銭は、神様に奉納するものなので、目に見える物質的な見返りが原則ありません(祈願だと祈祷して頂いた上にまでお下がりまで貰えますが、お賽銭箱に匿名で入れるとなると、まったく見返りがありません)。

 

 

 

この、「物などの自分で確認できるものを金で得る」という感覚を捨てて、「見返りを求めないところに真心としての金を渡す」という感覚を得るための実践が、このお賽銭ミッションになります。

スピリチュアル界隈で「お金はエネルギーである」と言われているのは、こういう事を指しているのですが、なかなか分かりにくいですよね。

 

 

生きて行く上で、「金が要る」「もっと金が欲しい」「無駄なことに金は使えない」などなど、お金に対する窮屈な思いを感じる場面は多いと思いますが、実は物の捉え方一つで、その窮屈さから解放されることは可能です。

 

 

このお賽銭箱ミッションは、何にも見返りがないと一見感じられる、

「お賽銭箱に匿名で一万円札を入れてお参りしてひっそり帰ってくる」

をやることによって、「無駄なことに金は使えない」の思い込みを外していきます。

 

この、「何を無駄と考えるのか」をひっくり返すということです。

 

 

まあ、それで言えばお賽銭は神様への奉納なので、ショック療法にしてはやりやすいと思います。

 

 

 

つまり、見えないところや見えないものにお金を回すことによって、

 

自分の実となる見返りを期待しないこと。

自分で状況をコントロールしないこと。

見えない何かを信じて天に委ねるということ。

 

「お金」という物質のツールを使っているけれど、

「在り方」としてそういったものを手に入れる。

 

という事を、実は神社ミッションでやっていたりするのです。

 

 


 

ちなみに。

せっかく神職が神社ミッションを語るので、

じゃあ、ミッションをした人からは見えない、その「お金」のエネルギーが

どのような形で動いているのかを少し。

 

 

神社側の裏事情としては、お賽銭箱に入ったお賽銭は、社殿の修復費用や日々神様にお供えする米や塩を購入すること等に使われます。

※ちなみに、普段人が居ないような小さな神社のお賽銭箱に入れるほど良い、とされている理由なのですが、裏事情をお話しすれば、ダイレクトにあなたのお賽銭が社殿の修理等に有難く使われる「比率」が大きくなります。

そういった神社はほとんど収入がなくて、普段神職や地域の総代と呼ばれる方々が持ち出しで社殿の管理などをしています。

これは、多分あまり知られて居ない事だと思いますが。

そこに一万円のお賽銭が入ってくると、めちゃくちゃ喜ばれること、それを使って故障していた設備の修繕ができるということは想像に難くないですよね・・・。

 

 

 

最後に、私個人が考える、お金はエネルギーであるということについて。

 

私は、「応援するものにお金を使う」ことにしています。

好きなもの、自分がいいなと思うこと。

そんな、大事に思うことに価値を置いてお金を使います。

 

 

例えば野菜を買う時。

無農薬、有機栽培、などのものを最優先で手に取ります。

それは、私がそれに価値を感じて居て「応援したい」と思うから。

私が感じる価値とは、「私の健康をキープするのに大切なもの」だという価値。

無農薬栽培や有機栽培は、携わる農家の方たちはとても大きな志や覚悟や想いを持っていると思います。

儲からないかもしれない。だけど、人々の健康のため、地球の土壌の健康のため、頑張ろうと勇気を持った方々。

私はそんな方々を尊敬し、応援したい。

だから、極力そこにお金を流します。高いか安いかはまったく関係ありません。

 

それが、「お金はエネルギー」だということ。

お金を使った先が力を蓄え、さらに大きくなってゆく。

応援されたエネルギーが、その対象を育てるのです。

 

 

逆に私は、水や電気を大切に使います、

私の毎月の光熱費は基本料金だとからかわれる位、丁寧に必要最小限だけを使います。

それは、資源を大切に使いたいという想いから。

そこにエネルギーを流さない事にも、私にとっては意味があります。

 

 

 

お金を使う時、そこには私の想いが乗ります。

何を大切に考えるのか。

 

応援のエネルギーを乗せて運ばれるのが、お金になっています。