客観視 | なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま

過去から未来へと、連綿と続く時間の中で、その「中」である「今」を生きる。という言葉です。

なかいまを生きるとは、今この瞬間の自分自身を、全力で経験するということ。

ハムスターのちょびのすけに、常に全力で振り回されています(笑)

自分自身を客観視する、というのはとても難しい。


何故なら常に、
自分は自分を、内側から見ているから。



自分のことは、誰よりもしっかり見ている気になってしまう。

でも、
内側から眺めている自分のこと、
外側の尺度に当てはめようとすると
途端に窒息する位苦しくなる。



客観視とは、
外側の尺度を使って外側からの目線で見ること、
だなんて思うと、心が即死する。


客観視とは、
万物すべてを漏れなく認識した中に居る
「私」の存在を包括的に認識すること。



あらら、解りにくい(;´Д`)
なんかもっといい表現はないかな。


自分を客観視する、とは、
他人の目線を想定して自分を見る、と言うことではない。



例えば、太陽を擬人化して
その太陽から見た銀河系全体の中にいる自分を見る、という視点。


そうして、自分というものを眺めてみると、
顔のしみの数なんて、ホクロの数なんて、
本当にどうでも良くなる。



顔のホクロで思い出したけれど、
私は本当にホクロが少なくて、
母に昔、狸が化けているみたい
と言われたことがあった(笑)

いやいや、あんたさんが産んだんやん、
という、お約束の裏手ツッコミ。


歳をとるとともに、ホクロって増えてくる。
だんだん化け方が上手くなったのかしら(笑)


スナフキンと焚き火




話を戻して、
そうして太陽目線で自分を見てみると、
今まで気にしていた小ジワのことよりも、
私の特性に目が行く。

太陽から見たら、その人のシワの数よりも
その人が、どんなことが好きで何をしている時楽しいのか。
何を思い、何をしている人なのか。
そんなことの方が、よほど気になってくる。



自分が内側から見ている自分の姿と、
随分違ってくるなあと言うことに
ビックリしてしまう。




「おてんとうさまがみてる」

という言葉があるけれど、
そういう目線で生きてみるのは、
人目を気にするのとは、全く違った
客観視
を持って生きることに繋がるのかもしれない。


おてんとうさまは、
裁かない。


私が何をしていようが、
叱ることも褒めることもない。


ただ、さんさんと気持ちの良い光を
降り注いでいるだけだ。