私に指図しないで! | なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま

過去から未来へと、連綿と続く時間の中で、その「中」である「今」を生きる。という言葉です。

なかいまを生きるとは、今この瞬間の自分自身を、全力で経験するということ。

ハムスターのちょびのすけに、常に全力で振り回されています(笑)


1年くらい前。

ふと、弟にこんな事を聞いてみた。



「小さい頃、姉ちゃんがどんな事を言っていたか覚えてることある?」



弟は、急に私のモノマネをしながら裏声で


「私に指図しないで! 私がやる事は自分で決めるの!」



と、言い出した。




あまりの弟の豹変にビックリして



「え?!(✽ ゚д゚ ✽) 私そんなこと言ってたの?」



と聞くと、弟もビックリしながら



「え?!(✽ ゚д゚ ✽) わかんない。」




と、笑ってた。



そんな事があったと、
ふと思い出した。



あの口調から察するに、
結構小さい時に放った一言で、
しかも弟が反射的に真似するほど、
強烈に印象深かったのだろうと思われる(笑)



学校に通わされて
やる事をすべて指図される生活が
きっと苦痛でたまらなかったんだろうな。


でも、誰も先生に苦情を言わないし
苦情を言える雰囲気でもないし
親に迷惑もかけたくなくて
黙って飲み込んだ我慢が
きっと何かのはずみで弟にぶつけられたのだろう。

私の苛立ちは、弟への八つ当たりに
よく変換されていたと思う。

弟には、小さな頃から随分お世話になってるなあ
(;´Д`)

それでも嫌わないで、
仲良くし続けてくれている弟には
感謝の気持があふれてくる。





こんな当たり前のこと。
不思議なくらい、多くの人は忘れている。


自営業の人たち

や、職人の人たちだけが
こんな自由な世界に生きているのかもしれないなぁ。







ここからは、
私の勝手な妄想だけど


学ぶ事も、自分で決められるといい。

ベルトコンベアーみたいに学校に行き
押し寿司みたいに型通りのことを習わされるよりも

ちゃんと物心ついてから、
お試し体験で色々教わってみた中から、
自分で習いたいことを決められるといい。

親から色々習えそうなら、
何も他人に習いに行かなくたっていい。

友だちは、近所に山ほど住んでいるのだから。
公園で出会えばいい。



子どもの学費がなければ
共働きしなくて良い家庭も増えるかもね。
どちらかが、傍に居て色んなことを教えられる。


学費を捻出するために、
子どもに鍵を持たせて両親が家を空っぽにするのなら
これを、本末転倒というのかも。





7歳まで、何故さかのぼる必要があるのかなと
不思議だったのだけど。

もしかしたら、
指図しないでと叫んだのが、
7歳の時だったのかもしれない(笑)


弟よく覚えてたな(笑)