我が子へ。こんな風に産んでごめんねっ て 感じてるあなたへ | なかいま ~ただこの瞬間を

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なかいま

過去から未来へと、連綿と続く時間の中で、その「中」である「今」を生きる。という言葉です。

なかいまを生きるとは、今この瞬間の自分自身を、全力で経験するということ。

ハムスターのちょびのすけに、常に全力で振り回されています(笑)

可愛い我が子が、
他の子どもたちと、何か違った状態で産まれたとき。

もし、両親が多くの人と同じ生まれ方をしていた場合は、我が子に対して、申し訳ない思いを抱くかもしれません。




私は奇形を持って生まれたけど、
生まれた時からそうなので、
不自由さすら当たり前でした。

ですので私自身は、それを
 問題 にしたこともなければ、
 嫌だ と感じた事もありませんでした。



でも、ある時。

それまできっと、言葉にしてもいけないと
思うほど、自らを責めていた様子の両親に、
ふいに、
かわいそうなことをした、ごめんねって泣かれた時。


初めて、自分は両親を悲しませてしまう、
ダメな風に生まれてしまったんだと思いました。




私にとっては、当たり前のこと。

他の人からすれば、
もしかしたら不便なのかもしれないけれど、
私にとってはその状態が

アタリマエ

だから、なんとも思っていなかったけれど。



そのせいで
両親を悲しませている事を知り、
その事が、とてもとても、

悲しかったのです。


両親は、私の事をとても大事に考えてくれて、
結果、私は
2度も入院して手術をしました。


その度に、
こうして入院して手術しなければならないほど、
私は異常に生まれてしまった。
両親にお金をたくさん使わせて、
心配させて、苦労させてしまったと、
私はどんどん自責の念を持ってしまいました。


クラスメイトには、
入院したら、暗くなったねとメッセージを貰いました。


本当は、私には、
入院も手術も、
必要なかったことに、
大人になって気が付きました。


でも、
両親の大きな愛からの決断だった事を知っていた私は、両親からの愛を素直に受け取りました。





もしも。

両親に、かわいそうと思われていなければ。

単に、日常生活で
不便さへの配慮だけをしてくれていたのなら。



私は、
悲しい気持ちを抱かなくても済んだと思います。





どんなふうに生まれても、
多くの人と違っても、
傍目から見て過酷であっても、
それを生まれつきの個性と受け止めてもらえる方が、挑戦の人生を選んだガッツのある子だと感じてもらえる方が、
子どもは嬉しいような気がします。




心屋さんのブログを読んで、

そんな事を、思い出しました。




あやりんでした。