天国に行きたい? 地獄に行きたい? 神道の神とは。 | なかいま ~ただこの瞬間を

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なかいま

過去から未来へと、連綿と続く時間の中で、その「中」である「今」を生きる。という言葉です。

なかいまを生きるとは、今この瞬間の自分自身を、全力で経験するということ。

ハムスターのちょびのすけに、常に全力で振り回されています(笑)

こんばんは。

日本にはよろずの神が居て、よろずの神観があるので
とても便利です(*´ω`*)

今日は天国と地獄について。お話してみようと思います。
どうぞ、最後の一文まで読んでくださると嬉しいです。


ところで、もし2択選べるとしたら、

天国



地獄



どちらに居たいですか?





では、質問を変えます。


今、あなたの心の中は、どちらに近いですか?


こっち?
穏やかで、ニコニコで、素敵な人に囲まれてて幸せと思えていて。。。


それともこっち?
寄ってたかって辛い目に合わされると感じ、誰にも分かってもらえないと憤り、何かが足りなくて飢餓感をつのらせていて。。。



どちらかと言えば。。。。。








そうなのです。
既に、私たちは天国やら地獄に居たりします。



えっ?!?!




死んだ後、
生前の心の様相によって、
行く世界が違うと言われています。


心の中はに引き合う世界に行くのだとか。






怖いですか?
怖くないですか???






そして、
いつでも私たちは、
心の様相を、自分で変えることができます。

 いつでも、好きな方に行く選択ができるのです。





悪い事をして、誰にも見られてないとしても、
神は真実を知っているといいます。

内なる神

という言葉がありますから、
他人の目は究極何も関係がなくて

他ならぬ 自分 が、

自分の全てを、自分自身の目を通して見ているわけです。



例えば。

ひと目を気にして良いことをしても、

自分自身が虚栄心で行ったことは、
どうですか?



神道とは、
教典などがないため、


あれをせよ
このように在れ
こうすべし

と言うものを殆ど語りません。



その、道標を示さない在り方を、
冷たい
不親切
何もしてくれない
と捉えて去る人も今まで見てきました。

辛いとき、
足元がグラグラになっているとき
弱っているとき。

教典があり教祖のいる宗教にのめり込む人が多いのは、
自分で決断しなくて済むようになるから。
なんでも教えられる通りにすれば救われると思えるので

ラクだから。


いやいや、厳しい修行で自分を厳しく律していますよ、と思われるかと思いますが、


生きる上で尤も厳しいのは、
人に言われた厳しい事をするよりも、

他人に言われるがままに進むのではなく、

すべての選択が自分で在ること

なのだろうと、
指示をくれない神社から
去る人の背中を見ながら感じてきました。




神道の神は、
内なる神であり、
神話の中で天照大御神は、子孫である瓊瓊杵尊に

これを私と思って祀りなさい

と、鏡を渡しています。


鏡を祀り、その前で手を合わせると、
鏡には、何が写っていますか?



鏡には、
向き合う人の
内なる神が写っているのです。


それは誤魔化しようのない、
あなたの心の中の世界です。







あやりんがお伝えしました。