好きなもの、と、感動するもの | なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま

過去から未来へと、連綿と続く時間の中で、その「中」である「今」を生きる。という言葉です。

なかいまを生きるとは、今この瞬間の自分自身を、全力で経験するということ。

ハムスターのちょびのすけに、常に全力で振り回されています(笑)

昨日、進撃の巨人展に行った話を書きました。



で、ふと思ったのですが、

進撃の巨人のストーリー

おもいっきり「自己犠牲要素」ないですか??



私は、進撃の巨人の漫画が好きなのですが、
要点を簡潔に書くと

・巨人になる人種がいる
・巨人になるからくりは、自損からの人体の回復機能を利用したもの
・ていうか、必死にそれをしている一人の少女
・主人公はそれを繰り返して戦う

因みに
・エルヴィン団長も人類のために自分と部下の命を張った

最期のあのひとこまも、自己犠牲の美徳をいやというほど描いているわけで。


まあ、私もエルヴィン団長級の自己犠牲の持ち主でした。
過去形で書いておく。

あの作戦があったから、獣の巨人を退けられたけど。

エルヴィン死んじゃったし。

どうせ獣の巨人、また来たし。



進撃の巨人展で、作者の諫山先生は

「自分が感銘を受ける作品は、見て自分が傷いたりしたようなもの。読者を傷つけたい、という気持ちもあったかもしれない。(要約)」

と、お話しされてました。
進撃の巨人には、全編とおして緻密な伏線が張られていて、さらりと読んで忘れていたような事が、後に大変な伏線だったことがわかる、ということばかりです。

ものすごい方法で読者をビックリさせる。


進撃の巨人を読んでいる楽しみのひとつには、作者のこんな仕掛けに、とても感情が動かされること、があります。
天才的な緻密さだなあと感動します。




そして、ふと思う。

私、人魚姫や幸福な王子のお話しが、

本当に「好き」だったのかしら。



好きとはなんだろう


好きとは、その対象にたいして、沸き上がる愛しい気持ちのことではないだろうか。

私、別に人魚姫や幸福な王子に、沸き上がる愛しい気持ちなんて感じてないわ。


感じているのは、

「胸が締め付けられる、切ない気持ち


この事を、人は「好き」と表現するだろうか。


どちらかと言えば、この状態は


「感動した」


と表現するほうが、よほど適切ではないか。

しょーたが求めていたのは、果たして参加者の「感動した本」でよいのだろうか。


こういうとき 私は原典をあたることにしている。

しょーたは こう書いている。

※以下引用

 

「好きな本を持ちよって

 

好きな世界を語り合う

 

しょーたの読書会のご案内です。」


※引用終わり




うん。


好きな本



とかいてあった。

これだから、参加してないのに勝手に書いてるやつはね( ・ε・)





さて。


私の好きな本


沸き上がる愛しい気持ちが溢れる本





それは決まってます。


『丹波哲郎の大霊界』



子供の頃の、私の愛読書でした❤



とにかく、


占い、診断系の本

宇宙や地球など、天体のはなし

この世の何故なに知識(物理学の話を子供向けに面白おかしく書いたもの)

霊界、生まれ変わり、予言書

など、当時 オカルト と言われていたもの


などなど。

現在スピリチュアルと言われているもの、押し並べて大好きでした☺




ここまででわかったこと。



『読書会では、好きな本を持ち寄ること』



……感動した本じゃなかった(*´ω`*)



( ・ε・)