誰よりも自分自身に伝えたい。
自己犠牲は自殺に等しいということを。
自分の好きな本を持ち寄って、その本の何が好きなのかを語ることで、自分の内面が見えてくる。
そのとき、私がミユに伝えた私の好きな物語は
「人魚姫」
「幸福な王子」
あああああヽ(´Д`;)ノ
はい、残念、自己紹介終了!!!
こほん。
私はしょーたの読書会に行くことが出来なかったので、せめてもこれらの本が、どんな本なのか、どこが好きだといつ思っていたのかを、ここをご覧の読者の皆様に、ご紹介していこうと思います。
まずは「人魚姫」
アンデルセンの童話で、これは内容をご存じのかたも多いと思います。
ディズニープリンセスでもありますが、ディズニーの人魚姫(アリエル)がハッピーエンドなのに対し、私の好きなアンデルセンの原作ではこうなります。
★あらすじ
年頃になった人魚姫は、船の上にいる王子さまに一目惚れをします。
その航海で死にそうになっている王子さまを必死に助けるも、王子は通りかかった他の女性を命の恩人だと勘違いしてしまいます。
人魚姫は、なんとか王子様の傍に行きたくて、海の魔女と契約し、美しい声と引き換えに人間の足を手に入れます。
地上にいくとすぐ王子様に出会えましたが、王子は別の女性を命の恩人だと思い込み、人魚姫にも惹かれつつ恩義を大切にして別の女性と結婚してしまいます。
悲しみにくれる人魚姫を見かねた人魚の姉たちが、
「これで王子を殺せば、人魚に戻れるから」
と、魔法の短剣をくれますが、どうしても王子を殺すことができず、人魚姫は海に飛び込み海の泡となって消えてしまいました。
………………(TДT)ナンダコレー
私は、物心つかない幼少期から、シンデレラでも白雪姫でも赤頭巾ちゃんでもなく
この絵本が好きでした。
THE 自己犠牲ですね。
さて、次のお話しいってみましょう「幸福な王子」
これはオスカー・ワイルドの児童むけの話で、私は確か、小学生の頃にテレビアニメか絵本で見ました。
★あらすじ
若くしてなくなった王子様を偲び、町の広場に王子様の像が飾られました。
像には宝石が飾られ、それはとても美しい像です。
しかし貧しい町の様子を見て、王子様は心を痛め、夜になると通り掛かったつばめに、
「この宝石を困っている誰それに渡してほしい」
と頼みました。
つばめは丁度、冬をしのぐために他の大陸に移動する途中だったのと、綺麗な宝石をわざわざ外すことに驚いて嫌がりましたが、王子の町の人への愛に心を打たれて、王子のお使いをすることにしました。
そして、王子の像に飾られていた宝石が、全て貧しくて困っていた町の人に行き渡った頃、装飾がなくなりみすぼらしくなった王子の像を町の人が壊してしまい、つばめも越冬できずに死んでしまいました。
おしまい。
てか、(T△T)ナンダコレー
何でこの話が好きなんだよ私( ノД`)…
これも、THE 自己犠牲です。
自己犠牲は美徳である
これは、日本に蔓延している、忌々しい、常識的な価値観ではないでしょうか。
私ももれなく、そう洗脳されていました。
もっと言えば、私の親もそのまた親も、周りじゅうで、絵本、童話、教科書、それこそ様々なもので。
子供の頃から、私は
人に迷惑をかけてはならない
と言われて育ちました。
赤の他人に迷惑をかけないように、なんなら赤の他人のために我慢する両親の背中を見て育ちました。
私は、道を歩くときに、人にぶつかりそうになるときに、意地でも避けない習性がありました。
自分でも、何故避けたくないのか意味がわからなかったのです。
現在カウンセラーとして活動しているタケコとカウンセリング練習をしていたとき、
お母さんを守るために戦っている
という理由をつかんだのですが、もう一歩深い意味がありました。
他人に迷惑をかけるな、赤の他人を尊重しろ、と言われ続けた私の、無意識の苛立ちが
赤の他人にぶつかって迷惑をかける
という行為で解消されていたのだと、分かりました。
何故、赤の他人を尊重するために、自分と、自分の大事な人を犠牲にしないといけないの?!
ふざけるなよ!!!
言葉にならない苛立ちが。
言葉にしてはいけない苛立ちが。
考えてもいけない苛立ちが。
大切な家族への苛立ち、赤の他人への苛立ち、そして自分自身への苛立ちと悲しみになっていました。
私がおこりんぼうだったのは。
家族への苛立ちが強かったのは。
他人に道を譲らずぶつかっていたのは。
赤の他人を大切にしろ、自分自身と自分の大切な人を大切にしてはいけない、蔑ろにしろと強制されたように感じた苛立ちから来ているものだった。
私の本音は
私は自分が大切なものを、一番に大切にしたい。
でした。
それが許されないと感じてた。
だから、大切にしてはいけない大切なものを作りたくなかったから。
今まで、お茶を濁して生きてきた。
一番大切なものには、手をつけずに生きてきた。
呪いは、気づいたら終わり。
先程書いた、二つの物語。
最後に、自己犠牲を憐れんだ神様が、天の国へ主人公を導いてくれるのです。
小さい私は、それが救いだと思っていた。
でも気づいた、本当には報われてなんかいない。
人魚姫は大好きな王子様の傍に居ることも出来ないし、可愛がってくれたお姉さんたちのところにも帰れない。
幸福な王子は、綺麗なものは有難がるが、みすぼらしいものは粗末にする町の人たちの貧しい心を目の当たりにしたし、つばめは暖かい所で楽しく暮らし損なった。
自己犠牲が生んだのは美徳ではなく、単なる自殺でしかない。
人魚姫も、幸福な王子も、自殺者だったのだ。
今年、一方的に私が親友だと思っていた人が自殺した。
子供の頃から友達で、進学を機に今のように携帯なんかなかった私たちは、一度疎遠になり。
社会人になってだいぶたって再会したら、彼女は鬱になっていた。
彼女の心の闇を、少しづつ聞いた。
カウンセリングを学んでからは、その知識もほんの少しだけ使いながら、話を少しづつほどいていた。
もともと私は、あまり自分から人を頻繁に誘うタイプでも無かったから、彼女か声をかけてくれたら会って遊んでた。
彼女は人望が厚くて友達が沢山いて、人付き合いも頻繁だから、私のペースとも丁度いいと思ってた。
最近会えないな。
そう思ってたら、訃報。
カウンセリングをせっかく習得したのに。
彼女は心の辛さを解消したがってた。
私と、友達として接していくなかで、少しづつ楽になれたらいいな。
そう思ってたから、無力な私を思い知らされた。
お盆だからかな。
そんなことも思い出したよ。
自己犠牲は美しいと、なんの疑いもなく教わってきたよね。
でもさ
自殺はダメだと言われなかった?
自己犠牲ってさ、
自殺と同じなんだよ。
矛盾してるよね。
わかんなくなるよね。
自己犠牲は、自殺に似てるよ。
したらダメなんだよ。
そう、私の心に伝えよう。
偲び歌
面影を 面影を
思い浮かべて しみじみと
逝きにしひとを
逝きにしひとを
偲ぶ 今日かな
お盆だから
私の大切な人に この歌を 捧げます。
大切な人にだけ
捧げます。