唐突ですが。
ここを今、ご覧になっているそこのあなた。
(*´ω`*)そうです。あなた。
「優秀なひと」
と聞いてあなたは、どんな人、を思い浮かべますか?
また、あなたはご自分のことを、優秀だ、と感じておられますか?
大変お恥ずかしながら、白状致します。
私は、自分のことを・・・・・・・・
(*ノωノ)優秀だと感じていましたっ
手際よく速やかに先手先手で物事を効率よく進める。
わたしが、物心ついてからずっと、心掛けていたことです。
もちろん、私には出来ないこと、苦手なことが沢山沢山あります。
そんな自分もすべてひっくるめて、
もう、私は存在そのものが優秀だ。
と、信じこんでいました(*ノωノ)
え?
セルフイメージ高くて素晴らしいですね?
ふふふ、私もそう思っていましたよ。
ほんの、昨日までは。。。
ええ、昨日までは。。。。。。。。
つまり、その私の前提が、昨日根底からひっくり返りやがったと言うことです。
時は遡り、昨日。
私は心屋マスターコース同期の仲間と、zoomをしていました。
現在悩みを抱えている同期の元に、タイミングのあうメンバーが集まりました。
私も悩みを抱えていたので、それはもう流れ弾に当たりまくるつもりで参加しました。
そこでまあ、見事に被弾(笑)
カウンセリングzoom中に、あれっと思い、終了後のシェアでいつも鋭いミユに、またもや謎解きのヒントを投下され(笑)
とうとう気づいてしまいました。☺
悩みと言うのは、幼少期の親との関係で生まれることが多い。
私は幼少のみぎりより、親や親戚から、
「賢い子」と言われまくって育ちました。
母の育児日記には、1~2歳頃の私が、年齢の割りに大人の話をぜんぶ理解している、賢くて驚く、と言うようなことがたびたび書かれていました。まあ、多分前者なだけですが。
また、私の母は手際よく効率よく物事を進めることに多大なる価値を置いている人で、家事もあっという間に物凄いクオリティで完璧にこなす、子どもから見たらスーパーウーマンみたいなひとでした。
子どもたちのことは、本当に愛情たっぷりに無償の愛情で育ててくれていました。
そして、ことあるたびに「早くしなさい」と言っていました。
とても優しい母でしたから、叱るではなく
「それが素晴らしいことだから」
というニュアンスで言っていました。
早くしなさい。
そうなんです。
愛情たっぷりに育てられたのに。
誉められて育ったのに。
それでも、「早くしなさい」「あやは賢い子」は、私を縛る孫悟空の金冠になりました。
「何事も、手際よく効率よくすべき」
「優秀である事が素晴らしい」
「優秀なわたしでお母さんを喜ばせたい」
私はかたくなにそれを信じ、守り続けてきました。
愛情たっぷりに育てられたからこそ、その価値観を疑うなんて発想は今まで、微塵もおきませんでした。
昨日は、カウンセラー仲間とのカウンセリングzoomで、私の相談ではなかったけれど、無意識にしていた努力が現実に苦しみを産んでいたことに、ついに気づかされてしまいました☺
(これを、心屋用語で「流れ弾に当たる」と言います(笑))
本日のタイトル。
心屋マスターコース受講中に、沢山の気付きをくれた同期たちでしたが、こうして終了後も研鑽しあえる仲間が居ること。
それが、私の宝物だなあと、心から感じたこと。
優秀神話はもう手放して、
もたもたしてても
のんびりしてても
なんにもしてなくても
わたしはわたしで価値はなんにも変わらない。
わたしがただいれば、それだけで最高なんだ。
と言うことに、認識を改めようと、思います。
優秀?!
じゃねーし!❤
母は美意識も高く、夜8時以降の間食も禁止でした。
私も以前までは、志したかく(笑)自宅にいる日は、それを忠実に守っていましたが、ふふふ
ふふふ、ハーッハッハッハッハヽ( ・∀・)ノ
食ってやったぜ!、!
21:30のハーゲンダッツだ!!!!!(( ・`д・´)