”蝙蝠 ☆コウモリ☆ という生き方”後日談 | なかいま ~ただこの瞬間を

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なかいま

過去から未来へと、連綿と続く時間の中で、その「中」である「今」を生きる。という言葉です。

なかいまを生きるとは、今この瞬間の自分自身を、全力で経験するということ。

ハムスターのちょびのすけに、常に全力で振り回されています(笑)

先日、コウモリという生き方について、書きました。

敵も味方もいない、コウモリ男のお話です。
敵も味方もいないとは、どこにも偏ることがない、自分自身、ニュートラル、中庸であるという、良い意味です。


ところで。
私の心屋流心理カウンセリングの師匠である、ひらいなずさんが、たまに不思議で綺麗なイラストを描かれているのですが、丁度私がこのコウモリの構想を練っていたとき、なずさんがFacebookでコウモリ入りのイラストを描かれて上げていました。


まさに今、私の心を占めていたコウモリが!
こんなとこに!!!(o゚Д゚ノ)ノ

ビックリ嬉しくなった私は、調子こいていそいそコメント(笑)




したら!

したらですよ!

コウモリ男が主人公のブログなのに、なずさんたら

「鳥男と動物男の話、いーねー❤」



と!!!

このコメントをみて、

(えっ?! コウモリ男の話なのに、何故そっち?!)

(ん? 待てよ)

(鳥男と動物男・・・)

(・・・・・・・・・。)


うおおおおおお~!


てなりました(笑)

自分で書いといてなんですが、言われてみれば鳥男と動物男、確かに良いじゃないですか(笑)


先日のお話では、コウモリ男が一切他人に合わせず、自分自身をありのままで生きている姿を書きました。


そして、鳥男と動物男は、1度はコウモリ男を味方に引き入れようと声をかけましたが、コウモリ男に仲間には入らないと言われたとき。

両者とも、さらっとそれを認めて、笑って立ち去ってます。

なびかなかったコウモリ男に対して、嫌がらせをするでもなく、無視をするでもなく、ありのままの彼を認めていました。

なんて爽やか。
なんて男同士の青春(何)


それは、自分自身をそのまま認めたコウモリとの連鎖反応だったのかもしれません。
童話のコウモリは相手に合わせて自分を無くしたことで、爪弾きに遭いました。
でも、私のコウモリは、そうはならなかったのでした。


自分自身を貫く姿も、とても尊い。
それと同じように、自分自身を貫く相手を認めて見守ることも、とても尊い。

誰も、相手に何かを押し付けようとはしていませんでした。



先日、私が何気なく書いた、鳥男と動物男の行動について、
なずさんの視点から、また一歩踏み込んだ意味付けが出来てしまいました☺

そして、私は本当に謎解きが好きなんだな(笑)
なずさんは、そんな私の好みを知ってか知らずか、謎のヒントをさりげなく散りばめてくれるから好きです☺


そんななずさんの、不思議綺麗なイラストが見られるインスタグラムはこちら

例のコウモリと鳥が描かれたイラスト、ここでも見れます🎵