容姿について | なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま

過去から未来へと、連綿と続く時間の中で、その「中」である「今」を生きる。という言葉です。

なかいまを生きるとは、今この瞬間の自分自身を、全力で経験するということ。

ハムスターのちょびのすけに、常に全力で振り回されています(笑)

私は小さな時、容姿に物凄いコンプレックスを抱いていた。

母は超絶美人。すれ違う男性が振り返るくらい。世界一美しい顔コンテストで優勝狙えるレベル。もちろん生まれつきの美人。
しかも喋ると可愛い。私の自慢の母親。
父はイケメンではないけれど、二重で鼻が高い。
そして弟はまるで天使のように物凄く可愛いかった(笑)完全な母親似。

それなのに。
私はどっちかというと不細工な感じ。
そしていつもムスッとしてた。

好きな絵本は、人魚姫と醜いアヒルの子。
大人になったら綺麗になるんだと、自分で自分に魔法をかけた。


時が過ぎて、大人になったとき。
私は老若男女問わず、「可愛い」という言葉を沢山貰えるようになった。
確かに自分の顔を鏡で見ても、可愛いと思えるようになってる。
でも、顔の素材は変わってないから、久しぶりに会った人には「変わってないね」と言われる。


魔法って不思議なもので
自分で自分を、綺麗、可愛いと決めてしまえば、他の人からもそうみえるものらしい。


だけど、大人になって随分経つ今でも、特に女性から綺麗だと褒められる度に、不思議な気持ちになる。

私にお世辞をわざわざ使う必要のないシチュエーションで、綺麗ですねと褒めてもらうたび、嬉しくて笑顔でお礼を言う。
有難うございますと受け止めるけれど。


あれ?
心のどこかでその誉め言葉が、どこか他人ごとに聞こえている私がいる。

例えるなら、ゲームで遊んでいるとき。
自分の分身たる主人公が、異性から美しいと誉められているシーンで
「このヒロインは美人な設定なのね、フムフム」
とか思っている感覚に似ている。

あ、私って綺麗な設定なんだ、嬉しいな。
みたいな。

設定ってなんだ、て話。


昔に比べれば、随分母に似てきたのだろうけれど、やはり母ほどは美しくないという思いが、どこかにまだまだあるのかもしれないと、昔の家族のアルバムを眺めながら、そう思っていました。


それでも幾つになっても、自分の姿を愛そうと思います。