日常では、いろんな場面でいろんな人が怒っている、他人を批判している、事象を"正そう"としている。
客観的にそれを見ていると、色んな事が見えてくる。
渦中の人になって、感情が動いて興奮している人。
他者を興奮させた人。
その輪の中に入る人。
客観的に眺めている人。
人の心の中は色々で、同じ場所に居て同じ空気を吸っているのに、
見ている世界は全然違う色をしている。
「ポジティブ」
「ネガティブ」
とか言うけれど、ただ何も考えなければ良いとか、無理に考える内容を捻じ曲げるとか、
そんなことをしていても多分上手くいかない。
自分が怒っているのに「許しましょう」
そんなことをすれば、いつか心が疲弊して
心の中で置き去りにされた「怒りの気持」がいつか噴火する。
それよりも、見ている世界の色を変えてみるのはどうだろう。
許すのではなく、別の側面に光を当てる。
自分が見えている見え方と、違う見え方はないか探ってみる。
この事象の本質はなんだろう、と謎解きをしてみる。
怒る、批判をするのは関わる事と同じだから、
離れるべきものであるなら離れてみるとか、
何故自分が怒りの感情を持ってしまうのか、そこから自分の価値観を知ってみるとか、
そうしてみると、他人の見えている世界が判ってくる。
びっくりするほど狭い世界で生きている人もいる事を知って
怒りと違う思いが沸いてくるかもしれない。
皆、一生懸命生きている。
卑怯な人だって、その人のキャパの中で精一杯生きている。
皆の見えている世界が違うから、同じ場所に居ても違う思いを抱いて
異なる反応をしている。
皆、精一杯自分の世界で生きている。
皆、自分の世界の中での正しさを、全てだと信じてそれに従って生きている。
自分と似た世界の色をしている人の事を評価して、
自分と異なる世界の色をしている人の事は批判したくなるのだと思う。