疑いの心の先に | なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま

過去から未来へと、連綿と続く時間の中で、その「中」である「今」を生きる。という言葉です。

なかいまを生きるとは、今この瞬間の自分自身を、全力で経験するということ。

ハムスターのちょびのすけに、常に全力で振り回されています(笑)

羅列すると、私はスピ系の色んな事を昨年一年間でしてきました。



・チャネリングのスクールに通った
・レイキ習得した
・クリスタルのワークショップに参加した
・センセーションカラーセラピストの資格取った

やった事だけみれば、充分セラピストとして活動出来るんです。

けど




したくないんです。

自分がスピ系セラピストになる事に対しての、言いようのない拒絶感を抱えています。

なら、どうして資格なんて取ったのよって感じですけれども(笑)


スピ系に浸かれば浸かるほど、拒絶感は濃くなってゆきます。





そして、段々私の心の中で、ひとつの思いが明確になってきています。


「スピ系は、本質に気づく為の一過性のものである」


スピ系そのものが本質では決してない。

そう、強く感じるんです。



例えばレイキ

あんなもの、本来は誰でもが持っている資質です。


不安な時、背中に手を当ててもらうと落ち着きます。

既にそれこそがレイキです。


十万単位のお金を支払って習得するようなものじゃないです。

本来は。


それが物事の本質。


私は、大変高価な買い物をして


実は全て持っていた事に気付く。


みんなそう。




認定証というのは

その事を気付かない人に、自覚を持たせるためだけに、与えられるもの。


私はそう思い始めてきました。


だから

レイキヒーラーとも名乗りたくないし

チャネラーとも名乗りたくない

カラーセラピストとも名乗りたくない



すべて、「歩く」事と同じように、「私が生きる上での手段」に過ぎないのです。







本質を探すたびは、結局自分に戻るのでした。