心屋初級セミナー、マスター塾、上級セミナー@ ひらいなずさん | なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま

過去から未来へと、連綿と続く時間の中で、その「中」である「今」を生きる。という言葉です。

なかいまを生きるとは、今この瞬間の自分自身を、全力で経験するということ。

ハムスターのちょびのすけに、常に全力で振り回されています(笑)

少し前に書いた、私の生い立ちシリーズ(笑)で、何度も名前が出てきたひらいなずさん。

そもそもは、たった一度、カウンセリングをしていただいただけでした。


だけど、なんとなく静かに続くご縁を感じていました。

初級を受け、心屋マスターを終えて、先日の上級を受けて、私が見ている世界が激変しましたが、それが何だったのか、少し整理してみようと思いました。(もうね、私、こうやってねちねち自分のこと分析するの大好きで(≧▽≦))

私にとって、結果一番解りやすかった、「嫌いな人」に焦点を当ててみたいと思います。


★初級編
まだまだ、心屋さんの考え方、ぢんさんのブログや本で読んでるだけの状態で受けましたよ。

一番インパクトがあったのは、

「嫌いな人」

のワーク。どんな人が嫌いなのか、どんなところが嫌なのか。
具体的に書き連ねるのですが、この時点での私、もう嫌いな人について溢れる溢れる。
鉛筆止まらん、位に沢山色々書きました(笑)

いやほんと、私、人を嫌うの得意でしたから(笑)

そして、解説を聞きぶっ飛ぶわけです。
受け入れがたかったです。心が拒否りました。
嫌いな人のこと。理屈はわかったけど、心は拒否反応を示す。そんな衝撃をうけたのが、初めてうけた初級セミナーでした。


★マスター編
引き続きマスターでも、嫌いな人に何度も立ち向かわされました(笑)
嫌いな人、不愉快だった過去の出来事、嫌な気持ちを何度もほじくりかえします。ドMには堪らないと思われます(爆)

もう、ことあるごとに不愉快なアイツを想定して、何度もワークを繰り返しました。
ところで。
マスター後半に至り、困ったことが起きてしまいました。

嫌いな人のワークを沢山した結果、マスター後半の時期、私にはもう、凄く嫌いな人がいなくなってしまったのです!!!
それほど、このワークは強烈でした。
もう、うんこ食う位の覚悟でやるわけですからね!!!
私はそんな気持ちでした(笑)

だって、
「嫌いな人は、この私」

なのですから。はじめのうちはこれ、認めたくないですよ、ええそれはもう。

だから、はじめのうちは中々見方が変えられなかった。イラついた。
でも、苛つきながらも、冷静に観察している自分がいた。ひたすら、とにかく観察することにしたんです。観察して、マスターのカリキュラムにあった考え方を、当てはめてみようと試みました。

でも、あるとき気がついてしまったんです。

「ああ、ほんとだ。
この要素を持っていた、過去の私が嫌いなんだ。この要素で大切な人を傷つけてしまった過去の私を認めたくなかったんだ。

だから、この要素がある人が嫌なんだな。」

と。

そうしたら。

それまで嫌だと思っていた人に、笑えてきました。

しゃーないや。
うん、しゃーない(*´ー`*)

むしろ、私が妄想で相手を勝手に盛ってただけだった。
私痛っ!

て、なりました(笑)

真実はどうあれ、勝手な妄想で世界を盛ることをやめたら、途端に嫌な人が、居なくなる世界を体験してしまったのです(まあ、ここからの、マスター卒業直後にしゅーくん大嫌い熱を出してしまうわけでしたが(笑)結局これも、先日生い立ちシリーズで書きましたが、私が頑固に握ってた思い出し腹立つを重ねて、そのショックで倒れたことが、後から上級セミナーを受けて、分かるわけです。大元が私の生まれてきた理由に直結するものでしたから、よっぽどショックだったんですよね。。)


★上級セミナー編
マスターは、卒業してからがスタートだと、ぢんさんが話してくれましたけどほんとにそうでした。
日々、どんどん身に付いた心屋のもののみかたで身の回りを眺めると、マスター受ける前のピリピリギスギスしたフィルターが消え去っていくことがわかりました。

上級セミナーでは、初級やマスターで取り組んだ嫌いな人に、また向き合わされます。
驚いたのは、嫌いな人として書いた内容にはまあ変化がないけれど(笑)
それを、うんこ食うほど絶対嫌ではなくなっている事に気がつきました(笑)
わりと、そんなに好きじゃないけど食べられはするものレベルの気持ちで向き合えるようになっている、という変化が面白かったのです。

つまり。
もう一度、棄てて嫌っていた自分の一部と、仲直りする時間。

心屋上級セミナーは、そんな贅沢な時間だったなあと思いました。


もうひとつ。
私はそれまで、「普遍的な世界の真理」が知りたいと思っていたけれど、大切なのは、「私自身のの世界の真理」だったと、痛感したわけです。

私が好きなら良いじゃない。
私が気にならないなら良いじゃない。
物事はとてもシンプル。
勝手に複雑にしていたのは私だったとさ。

すべて私が決めて良い。



そして。
その上級では
思っても見なかった自己矛盾に気付かされた、なずさんの一言。

「あやりんは、自分があるようでないからね。」


わたしは、動揺を表に見せない習性があるため澄ましてましたが、内心激しく動揺しました。

「え?! 私みたいに自分の意思をしっかり持った人間が?!(混乱)」
という表層意識と、

「あー、これ、ヤバイやつきた!」

という心の声が入り交じりました。

どういうことだろうと、セミナーが終わり帰宅してから、じっくり振り返ってみました。

私には、自分で考えて決める明確な強い意思決定、自分の感覚で選ぶ、個性を出す、人目を気にしない、嫌われたくないという気持ちがない、という特徴があるため、一見めちゃ自分軸があるようなキャラクターなのですが。。。。

同時に、人に囲まれたくない、一人の時間が好き、友達も少ない、人付き合いは必要最小限にしたい、交遊範囲の広さは苦痛でしかない。

等という特徴をもっていて、つまり、人といるととてもくたびれてしまうのです。
何故か。

一緒にいる相手の気持ちをエネルギーレベルで一分の隙もないくらい神経張り巡らせて高クオリティーで慮ろうとするから。それも無意識に。

ということを、物心ついたときから当たり前のようにやっているので。
自分のことを放置して相手を慮ることが、息をするように当たり前で、しかも一見自分軸がしっかりありそうなキャラクターなために、そんな部分は今まで、誰にも、気づかれたことが無かったはずなので!自分自身にすら気づかれずにやってきてたのに!巧妙に隠してたのに!


ということに、直面してしまいました。まあ、うすうすおかしいとは感じていて、でも愛ゆえに気がつきたくなかった訳です。

もちろん、お母さんのために赤ちゃんのときから始めたことですからこれ、無意識も良いところでした。

初めて、自覚するに至り、色々不自然な矛盾を抱えた自分自身に初めて、納得しました。


なずさんは、見えない世界が得意な方。
それは、見えない世界を大切に思っている私には、とても有り難い存在で、見えないものを整えて場を提供してくれる。
謎解きが大好きな私には、語りすぎずにヒントをくれるそのさじ加減も絶妙で、だから安心していられるのだなあと、改めて思いました。


ほんとの意味で自分自身のために生きる。

上に書いた通り、今まで本当にはやれてきていないため、なかなか練習が必要かもしれませんが。


少しずつ挑戦してみよう。
と思いました。


他人と自分のエネルギーの解りやすくて簡単な切り離し方、誰かヒントを教えてください(笑)

取り敢えず、もー、エネルギーレベルで他人を慮るの、


やーーーーーめたっ!!!!!(`Δ´)!


これからは自分をまず真っ先に慮るわっ!
決めた!

(〃ω〃)❤