私と心理学⑤ | なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま

過去から未来へと、連綿と続く時間の中で、その「中」である「今」を生きる。という言葉です。

なかいまを生きるとは、今この瞬間の自分自身を、全力で経験するということ。

ハムスターのちょびのすけに、常に全力で振り回されています(笑)

私と心理学①




この、ひらいなずさんとの出会いで、私は自分の心のなかに、何が楔として引っ掛かっていたのかを明らかにすることができました。

今までも散々自己分析してきたようで、問題点と思っていたものはどれも並列に感じていたけれど、口に出せるかどうかで、本当に引っ掛かることと、そうでもないものをより分けた感じでした。


自分の人生の謎解きをするために、私はそれからも色んな人に会いました(夫々の話はまたそのうち)。

今まで漠然と、受け身で教えてもらったり、自分のなかに知識を入れることばかりをしてきたけれど、

「人から言われたこと」は、
ふーん、そうなんだ。
と、頭に入ってお仕舞い。
今振り返れば、゛心に入っていかなかった゛から、何度も同じことを言われ、でも受け取れないが続いていたのだと思います。


けれど、この、
「人から言われたこと」
は、後からじわじわ良い仕事をしました(笑)
人生、回り道はあっても、無駄はないんだと思います。

例えば私は、やはり親に対する申し訳ないという気持ちを、前世を見て問題をひもとくリーディングをする人に見てもらったことがありました。
その時に言われたのは
「多くの人の間で一歩離れて俯瞰して全体を見て、公平になるよう調整する能力に長けている。それをもっと使うと本来の使命に近づく」
というものでした。

言われても、そんなことピンときません。
神主は確かに、神様と人の間に立ち、中取り持ちをする役目がありますが、私は日常的にそれをしているわけではない(やりたかったけど出来なかったと感じている)と、思っていました。


また、エネルギーヒーリングを一緒にしてくれる整体を受けていたとき、足先にふわっとエネルギーが入る、戻る感覚があったので何か聞いてみたところ

「身体から15センチほど浮いていたので、戻しておきました。」

と言われました。

この、少し浮いていることについても、何人からもこのあと指摘をされていきました。
もちろん本人に自覚はありません。

それまでも、モーニングページやブログなどで自分の心と沢山向き合い、心の動きとその意味を書いてきましたが、

心屋さんに辿り着いてから私は、心屋さんのブログやなずさんのブログやメルマガを楽しく読みながら、自分の心に起きている謎を解くための、謎解きメソッドを探すようになりました。


心屋さんの話は、私が元々本で読んで知っていた心理学を、日常的に使える方法に噛み砕いたもので、

「使いにくい心理学」

を、

「誰でも使いやすい心理学」

にしたものでした。


それと平行して、ひらいなずさんの発信もずっと見ていました。
なずさんは、多くの人には見えないものが見える系の人で、心屋さんとはまた違った側面を持っています。

見えないものに大切なものがあると感じ、そこに着目し続けて生きて来た私には、その世界を共有できる人の話は、素直に心の喜びに繋がりました。


④で書きました、ひらいなずさんに会いに行った日に、心屋リセットカウンセリングのマスターコースをやるから良ければおいでと声をかけて貰っていました。

その時の私は、スピリチュアル疲れ(笑)で学ぶことに逃げて依存している自覚があったため、マスターコースは見送りました。

が。
そのあと、なずさんが募集の告知をするたび、何年も何年も手帳を眺めながら、毎回ソワソワモジモジしていました(笑)


学ぶことに逃げる。
この状態を何とかしようと、何年ももがき続けていました。


そして。


ついに私は、今までで一番日程的な都合がつかないタイミングで何故か、ひらいなずさんのマスターコースを受けようと思い立つのであった。



続く