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Ayanosuke

中学の歴史の授業でキリスト教に興味を持ち始め、オーストラリアの日本語教会で洗礼を受けクリスチャンになりました。
そんな私がミイラ取りからミイラになり、ミイラになり切れなかったことを感じた記録です。

健やかなるときも、病めるときも

喜びのときも、悲しみのときも

富めるときも、貧しいときも

 

教会式の結婚式で「誓いの言葉」としてお馴染みのフレーズです。

この言葉の中で、健やかなるとき、喜びのとき、富めるとき、を共有できる相手はたくさんいると思います。

しかし、病めるとき、悲しみのとき、貧しいとき、というのを共有できるのは、本当に限られた人になってくると思います。

 

人はひとりぼっちでは生きてゆけません。

友情や愛情など、人との心の繋がりや支え合いがなければ、健康な精神状態では生き続けることが難しいものです。

 

一日に三人以上の人と話をしなければ人の心は病んでしまう、という話もあるくらいです。

しかし、私は電話受付の仕事をしていた時、毎日、何十人ものお客様とお話しをして、何十人もの同僚に囲まれていましたが、孤独でした。

つらく苦しい時に、本当のことを人に話せなくなりました。

私の心を受け止めてくれる人は、そばにいないと思い込んでいたからです。

 

聖書はそんな時に、各々、自分から積極的に身の周りの人と仲間になるようにしなさいと教えています。

しかし、その努力が報われない時があるもの、また事実です。

 

もし、そんな風に「どうがんばっても本当にひとりぼっちだ」と嘆かずにはいられないほど、追い詰められた時には、「それでも最後に残って共に泣き、共に笑ってくださる神さまがいる」と思うことが出来るかどうかが、再び立ち上がることが出来るかどうかの分かれ道だと思います。

 

参考文献 信じる気持ち はじめてのキリスト教 富田 正樹

つらく苦しい日々が続くと、私たちは、未来に何一つ希望がないように感じ、明日も明後日も同じように苦しい時が続くのではないかと思ってしまいます。

 

そんな時、私は「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(マタイ6:34)」を思い出します。

未来は見えない。だから明日は明日で苦労するなら、今から考えるのは、やめておこう。

 

こんな考え方は、とてもいい加減に聞こえるかもしれません。

しかし、「今日がダメだったから、明日もダメだろう。」という引き算の人生では、未来に希望が持てません。

私たちクリスチャンは、「今日がダメでも明日がある。明日はきっと、いいことがある。」という足し算の人生を送っています。

 

私が本当に余裕のない苦しい日々を送っていた時、「明日の苦労の不安まで引き寄せる必要はない。」という聖書の言葉に何度も励まされました。

 

「明日のことは明日にまかせよう。なるようになるさ。」と考えることは、一見すると投げやりな態度に見えるかもしれませんが、そうとは限りません。

「明日のことは明日のお楽しみ。」と楽観的になってみるのも、いいことなのです。

 

参考文献 信じる気持ち はじめてのキリスト教 富田 正樹

クリスチャンになる前の私は、海外へ行った時、「あなたの信仰は何ですか?」と尋ねられても明確に答えることが出来ませんでした。

 

多くの日本人は「無宗教です。」と答えると思います。

それはすなわち「私は何も信じていない。」と尋ねた人は捉えます。

そしてあなたを不審そうな目で見るかもしれません。

 

なぜなら「何も信じていない」ということは、「私は私を超える存在を知らない」ということになります。

これは、「私は人がいないところでは何をするか分からない人間ですよ。」と自分で宣言していることになります。

尋ねた人にとって、何も信じない人というのは、そういう怖い人だということになります。

 

私たちクリスチャンは、たとえ周りに人が一人もいなくても誰か人間を超えた方の視線がちゃんと自分の行いを見て知っているのだと考えます。

それは、人が見ていなくても、自分の行いを正す助けとなります。

 

もし、そのように考えることが難しい場合は、あなた自身の心の中にある「良心の目が見てる」と考えるといいかと思います。

良心とは、ギリシャ語では[シュネイデシス]といいます。

語源的には「同時に知る、同時に自覚する」という意味を持っています。

良心の働きは、本人が望む望まないに関わらず、自ずと心の奥から湧き上がってくるものだからです。

良心とは、人間の心の奥に刻まれた本能であると説明する人もいます。

 

信じる何かを持っているということは、いつも自分を見ていてくれる目を意識しながら振舞っているということであり、それがその人の信頼度アップにも繋がります。

そして、人に評価されるかどうかとは関係なく、自分の良心に従った行動が出来る能力でもあります。

 

参考文献 信じる気持ち はじめてのキリスト教 富田 正樹