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Ayanosuke

中学の歴史の授業でキリスト教に興味を持ち始め、オーストラリアの日本語教会で洗礼を受けクリスチャンになりました。
そんな私がミイラ取りからミイラになり、ミイラになり切れなかったことを感じた記録です。

ユダヤ教と一言で言っても、宗教活動を行なっていた人たちには、それぞれ役割がありました。

とくに大事なのは、1 サドカイ派、2 ファリサイ派です。

当時のユダヤ教の主流派であり、彼らとイエスとの対立が福音書にはっきりと記されているからです。

 

1 サドカイ派

ユダヤ教の信仰の柱の一つは、聖都エルサレムにある神殿の祭儀です。

エルサレムの神殿体制を支えていたのがサドカイ派(ギリシャ:サッドゥーカイオイ、英語:Sadducees)です。

自分たちはサドカイ人(びと)と呼ぶ慣わしとなっています。

大祭司など宗教的高級職の集団です。

民は神殿に税金を払っているので彼らはそれで豊かに暮らしていました。

福音書によれば、イエスはエルサレム神殿の崩壊を予告しています。

イエスの宗教活動は神殿勢力とは対立的な関係にあったわけです。

 

映画『マリア』(原題:The Nativity Story)の冒頭でゼカリアが神殿に入り、預言をもらうシーンがあります。ゼカリアはサドカイ派です。

 

しかし、70年の第一次ユダヤ戦争によりエルサレムの神殿は破壊されてしまいました。

それによりサドカイ派は衰退し、消滅しました。

 

参考文献 信じない人のためのイエスと福音書ガイド 中村 圭志

難民キャンプにいた、あるヨルダン人の方の言葉です。

 

人々が「日本のようになりたい」と言うとき、それはきっと日本のように金持ちになりたいとか、電気製品をたくさん持ちたいとかいう意味だろうと、私たちは思ってしまいます。ところが、彼の言う意味は、日本のように「憲法上で不戦を誓う国」になりたい、ということだったのです。

彼らにとって、日本は「特別な国」でした。そしてそれを私たちはとても誇らしく感じることができました。現代だけではありません。日本には昔から誇れるものがたくさん存在していたのです。

多くの場合、危なくて、貧しくて、人権もない、福祉もないというのが「普通の国」なのです。しかし日本は非常に古い時代から、それらに関して胸を張れるものを持っていました。

現在の日本国憲法がどのような経緯で作られたのかは、色々な議論がありますが、少なくとも、戦後80年経った今でも、この一文は残っています。

 

今も世界中で戦火が絶えません。

ニュースで報道されている様子を見ると、武器を持った軍服姿の軍人が写し出されます。

日本で生まれ育った私たちは、戦争がないのは当たり前。軍服姿で軍人が街を歩いているのを見たことがない。というのが当たり前でした。

 

戦争が好き、というのが普通の国です。しかし本当の平和は、武器を輸出しない、つくらない、また不戦を誓い、平和を愛し、紛争を未然に防ぐ予防外交などによって築かられるものです。日本はそのリーダーとなり得る立場にある。

日本はそうした特別な国、高い理想によって世界をリードしていく国であることを信じたいです。

 

参考文献 隠された十字架の国・日本 ケン・ジョセフSr.&Jr.

日本人の多くは、「目には目を、歯には歯を」を復讐の容認だと思っているかと思います。

 

古代バビロニアのハムラビ(ハンムラビ)法典にも、「目を傷つけられたら、相手の目を、歯を傷つけられたら相手の歯を傷つけろ」というように使用されています。

 

しかし、旧約聖書の出エジプト記には

『目には目。歯には歯。手には手。足には足。やけどにはやけど。傷には傷。打ち傷には打ち傷。自分の男奴隷の片目、あるいは女奴隷の片目を打ち、これをそこなった場合、その目の代償として、その奴隷を自由の身にしなければならない。(出エジプト記21:24~26)』

とあり、復讐ではなく、「相手の目を傷つけたなら自分の目を傷つけることによって償え」という償いの意味で使用されています。

 

イエスはこれに対して、復習も贖いも否定し、暴力に対して暴力で応えてはならないと説いています。

 

『しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。マタイ5:39』

 

イエスの時代、イスラエルはローマに支配されていました。

この言葉は、それ以上事態を悪化させることをしてはならないという意味で用いました。

 

イエスは抑圧された人々の怒りと屈辱のなかで、耐え忍ぶ思いを語ったのではないかとも、言われています。

 

参考文献 よくわかるキリスト教 土井かおる