目には目を | Ayanosuke

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中学の歴史の授業でキリスト教に興味を持ち始め、オーストラリアの日本語教会で洗礼を受けクリスチャンになりました。
そんな私がミイラ取りからミイラになり、ミイラになり切れなかったことを感じた記録です。

日本人の多くは、「目には目を、歯には歯を」を復讐の容認だと思っているかと思います。

 

古代バビロニアのハムラビ(ハンムラビ)法典にも、「目を傷つけられたら、相手の目を、歯を傷つけられたら相手の歯を傷つけろ」というように使用されています。

 

しかし、旧約聖書の出エジプト記には

『目には目。歯には歯。手には手。足には足。やけどにはやけど。傷には傷。打ち傷には打ち傷。自分の男奴隷の片目、あるいは女奴隷の片目を打ち、これをそこなった場合、その目の代償として、その奴隷を自由の身にしなければならない。(出エジプト記21:24~26)』

とあり、復讐ではなく、「相手の目を傷つけたなら自分の目を傷つけることによって償え」という償いの意味で使用されています。

 

イエスはこれに対して、復習も贖いも否定し、暴力に対して暴力で応えてはならないと説いています。

 

『しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。マタイ5:39』

 

イエスの時代、イスラエルはローマに支配されていました。

この言葉は、それ以上事態を悪化させることをしてはならないという意味で用いました。

 

イエスは抑圧された人々の怒りと屈辱のなかで、耐え忍ぶ思いを語ったのではないかとも、言われています。

 

参考文献 よくわかるキリスト教 土井かおる