いつか私たちも日本のようになりたい | Ayanosuke

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中学の歴史の授業でキリスト教に興味を持ち始め、オーストラリアの日本語教会で洗礼を受けクリスチャンになりました。
そんな私がミイラ取りからミイラになり、ミイラになり切れなかったことを感じた記録です。

難民キャンプにいた、あるヨルダン人の方の言葉です。

 

人々が「日本のようになりたい」と言うとき、それはきっと日本のように金持ちになりたいとか、電気製品をたくさん持ちたいとかいう意味だろうと、私たちは思ってしまいます。ところが、彼の言う意味は、日本のように「憲法上で不戦を誓う国」になりたい、ということだったのです。

彼らにとって、日本は「特別な国」でした。そしてそれを私たちはとても誇らしく感じることができました。現代だけではありません。日本には昔から誇れるものがたくさん存在していたのです。

多くの場合、危なくて、貧しくて、人権もない、福祉もないというのが「普通の国」なのです。しかし日本は非常に古い時代から、それらに関して胸を張れるものを持っていました。

現在の日本国憲法がどのような経緯で作られたのかは、色々な議論がありますが、少なくとも、戦後80年経った今でも、この一文は残っています。

 

今も世界中で戦火が絶えません。

ニュースで報道されている様子を見ると、武器を持った軍服姿の軍人が写し出されます。

日本で生まれ育った私たちは、戦争がないのは当たり前。軍服姿で軍人が街を歩いているのを見たことがない。というのが当たり前でした。

 

戦争が好き、というのが普通の国です。しかし本当の平和は、武器を輸出しない、つくらない、また不戦を誓い、平和を愛し、紛争を未然に防ぐ予防外交などによって築かられるものです。日本はそのリーダーとなり得る立場にある。

日本はそうした特別な国、高い理想によって世界をリードしていく国であることを信じたいです。

 

参考文献 隠された十字架の国・日本 ケン・ジョセフSr.&Jr.