復活したのか?について | Ayanosuke

Ayanosuke

中学の歴史の授業でキリスト教に興味を持ち始め、オーストラリアの日本語教会で洗礼を受けクリスチャンになりました。
そんな私がミイラ取りからミイラになり、ミイラになり切れなかったことを感じた記録です。

ノンクリスチャンの友だちからこのような質問をされました。

私は人が死ぬと、魂は肉体から離れるという認識しかなかったので、イエスが死んで蘇ったと聞いても、それを事実であったと受け止めることが信仰だと思っていました。

 

私のお墓の前で 泣かないでください

そこに私はいません 眠ってなんかいません

千の風に 千の風になって

あの大きな空を 吹きわたっています

 

秋には光になって 畑にふりそそぐ

冬はダイヤのように きらめく雪になる

朝は鳥になって あなたを目覚めさせる

夜は星になって あなたを見守る

 

作者不詳・新井 満訳詞作曲のこの歌を初めて聞いたとき、私はイエスを思った。

「空の墓」、イエスが十字架上で亡くなって埋葬された後、何人かの弟子が墓を訪ねたら、墓は空になっていた。イエスが神によって復活させられた瞬間は、聖書に何一つ描かれていないが、墓が空であったことをマルコ福音書は報告している。

だから「そこの私はいません 眠ってなんかいません」という歌詞に接した時、イエスを思い起こした。

また同時にヨハネ福音書14章の中で、イエスが死を直前にして、我々に残した約束事を想い出した。

そこには、イエスが死んだら、我らを守り助けてくれる真理の霊(息吹・風)を送ろうとの遺言が語られている。

聖霊、即ち父なる神の霊であると共に復活したキリストの霊を、天から送ろうとの約束である。

言葉を換えれば、我らと同じように生活し、悲しみや苦しみをみな経験し尽くした、あのイエスが、天から力強い息吹を、自らの風を送り、神が善人にも悪人にも雨を降らせるように、一人一人の心を照らし、慰め、勇気づけてくれると約束したのだ。

だから、『千の風になって』を初めて耳にした時、イエスが風になって、千の風になって、あの大きな空を吹き渡っているんだなあ、と素朴に感じた。

天の風、すなわち風天のイエスである!

『寅さんとイエス』より

 

「聖霊とは」の項でも書きましたが、聖霊は風と息に由来する言葉です。

イエスの肉体がどうなったかは、分かりません。

私たちは目に見えないと、存在しないものと思いがちですが、イエスは千の風になって今なお私たちの心を慰め、導いているのだなと思います。

 

参考文献 寅さんとイエス 米田 彰男