ノンクリスチャンの友だちからこのような質問をされました。
私は人が死ぬと、魂は肉体から離れるという認識しかなかったので、イエスが死んで蘇ったと聞いても、それを事実であったと受け止めることが信仰だと思っていました。
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
作者不詳・新井 満訳詞作曲のこの歌を初めて聞いたとき、私はイエスを思った。
「空の墓」、イエスが十字架上で亡くなって埋葬された後、何人かの弟子が墓を訪ねたら、墓は空になっていた。イエスが神によって復活させられた瞬間は、聖書に何一つ描かれていないが、墓が空であったことをマルコ福音書は報告している。
だから「そこの私はいません 眠ってなんかいません」という歌詞に接した時、イエスを思い起こした。
また同時にヨハネ福音書14章の中で、イエスが死を直前にして、我々に残した約束事を想い出した。
そこには、イエスが死んだら、我らを守り助けてくれる真理の霊(息吹・風)を送ろうとの遺言が語られている。
聖霊、即ち父なる神の霊であると共に復活したキリストの霊を、天から送ろうとの約束である。
言葉を換えれば、我らと同じように生活し、悲しみや苦しみをみな経験し尽くした、あのイエスが、天から力強い息吹を、自らの風を送り、神が善人にも悪人にも雨を降らせるように、一人一人の心を照らし、慰め、勇気づけてくれると約束したのだ。
だから、『千の風になって』を初めて耳にした時、イエスが風になって、千の風になって、あの大きな空を吹き渡っているんだなあ、と素朴に感じた。
天の風、すなわち風天のイエスである!
『寅さんとイエス』より
「聖霊とは」の項でも書きましたが、聖霊は風と息に由来する言葉です。
イエスの肉体がどうなったかは、分かりません。
私たちは目に見えないと、存在しないものと思いがちですが、イエスは千の風になって今なお私たちの心を慰め、導いているのだなと思います。
参考文献 寅さんとイエス 米田 彰男
