教会にいくことについて | Ayanosuke

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中学の歴史の授業でキリスト教に興味を持ち始め、オーストラリアの日本語教会で洗礼を受けクリスチャンになりました。
そんな私がミイラ取りからミイラになり、ミイラになり切れなかったことを感じた記録です。

私は時々クリスチャンに失望することがあり、その時、教会へ行けなくなります。

 

日本では誘惑が多いので教会へ行った方がいいと思いますが、教会に足を運ぶことが出来なくなることも、また事実です。

 

私はそんな時は、時を待ちます。

『神のなさることは、すべて時にかなって美しい。伝道者の書3:11』

そして自己分析をして、「なぜ、行けなくなったのか?」を考えます。

 

教会との関係が限りなく薄くなっても、神との関係がなくなるわけでは、ありません。

教会以外に神と出会う場所はいくつもあります。

 

こんな聖書の言葉があります。

『こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。Iコリント13:13』

キリスト教とは変わった宗教です。

宗教ならば、「信仰がいちばん大事だ。」と説けばいいものを信仰よりも、もっと偉大なものがあるというのです。それが愛です。

『愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。Iヨハネの手紙4:8』

という言葉もあります。

 

教会から離れ、信仰を捨ててしまっても、人を愛する気持ちがあるなら、その人は神から離れてはいないのです。

 

参考文献 信じる気持ち はじめてのキリスト教 富田 正樹