信じるということについて | Ayanosuke

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中学の歴史の授業でキリスト教に興味を持ち始め、オーストラリアの日本語教会で洗礼を受けクリスチャンになりました。
そんな私がミイラ取りからミイラになり、ミイラになり切れなかったことを感じた記録です。

『肝心なことは、目には見えない。

心で見ないと、物事はよく見えない。』

星の王子さま(サン・テグジュペリ著)を読んでいて、この物語の核となる部分だなと思いました。

 

私はクリスチャンになる前、目に映るものしか信じることが出来ませんでした。

「神さまはいるかもしれない」と思っていても、目に見えないものを信じることに、どうしても一歩踏み出すことが出来ませんでした。

 

信じるということは、目に見えないものを「ある」と思っているということです。

ただ、ないものを「ある、ある」と一生懸命に思い込もうとしなくても、いいのです。

「神さまがいる、と考えた方が納得がいく」という場合に、神がいると信じればよいのです。

 

疑ってはいけない、というわけではありません。

疑う気持ちは大切です。

むやみやたらに何でも神の恵みだと思い込むよりは、疑う気持ちを持っているほうが、人間としては、よほど健全です。

 

多くの場合、どんな時でも神は沈黙を守ったままです。

悲しいこと、苦しいことに出会った時、神が本当にいるか疑いたくなります。

しかし、そんな疑いを持ち続けることが、かえって神をよく知ることに繋がっていくのです。

 

神の計画というものは、多くの場合、人間の予想よりもはるかに長い時間をかけて実現するものだからです。

 

ここに一つの詩があります。

『私は信じる。陽が差さなくても 太陽があるという事実を。

私は信じる。愛を感じることができないときでも 愛があることを。

私は信じる。神が沈黙しておられても 変わることなく沈黙の後ろに神がおられることを。』

 

参考文献 信じる気持ち はじめてのキリスト教 富田 正樹