なぜ戦争がなくならないのか?について | Ayanosuke

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中学の歴史の授業でキリスト教に興味を持ち始め、オーストラリアの日本語教会で洗礼を受けクリスチャンになりました。
そんな私がミイラ取りからミイラになり、ミイラになり切れなかったことを感じた記録です。

ノンクリスチャンの友だちからこのような質問をされました。

現代日本に生きる私にとっては、戦争は遠い国の出来事でしかありません。

結論としては、武器商人がいるから。敵対する両方の国に武器を売っているから。

というのが理由ですが、おそらくその方が知りたいのはそういうことではないと思いまして調べました。

 

歴史上、しばしば、キリスト教の名のもとに、戦争をはじめとする、残忍な行為が行われてきました。

しかしそこには、政治、経済など様々な利害が絡みついており、純粋に宗教的な目的で行われた戦争は、ほとんどありません。

むしろ、キリスト教は戦争に利用されたと言えるのではないでしょうか。

これは非常に恐ろしいことです。

人を傷つけた時、私たちは罪の意識を感じます。

しかし、「この戦争は神の意思だ」「これは神が望んだ戦争だ」と叫んだ時、人々は迷いも罪意識も捨て去り、平気で人を傷つけることが出来ます。

キリスト教は残忍な行為を正当化する絶好の大義名分となるのです。

 

そしてもう一つは、神は人間をロボットにしなかったということが言えるでしょう。

これを自由意志と言います。

神に従うのも人間の自由。

人間同士で争い、奪う合うのも人間の自由ということです。

 

神が善で全能であっても、悪が存在するのは、自由意志によるものです。

 

参考文献 よくわかるキリスト教 土井かおる