今の日本のお米の栽培方法は、水耕栽培ですが、かつては、大陸で土耕栽培も行われていたそうです。ただし、土耕栽培の米は美味しくないそうです。
お米の価格が高騰して話題になった昨今ですが、私はお米があまり好きではありません。少しの期間、食べなくても平気と思っていましが、10日ほど食べないでいると、お米が食べたくて食べたくて・・・と禁断症状に陥りました。
日本人は(本人が気がつかなくとも)米に特別な感情をもっている。昔の日本人は「ゴハン粒一つ一つには観音様が宿っておられる」といって一粒も無駄にせず、洗い流した飯粒を集めてかめにつめ、のりにした。米は命の糧だから神聖なのである。
全く同じことが(否、それ以上のことが)、遊牧民(または牧畜民)の家畜について言える。昔のユダヤ人にとって、それは羊であった。羊の乳からチーズを作るなどといえば、多くの日本人は驚くであろう。遊牧民には欠かせぬ食糧である。その筋も内蔵も骨髄も食糧、毛は衣料、皮は装身用具、ある場合にはちょうど家具にあたる。また彼らの家すなわち天幕は山羊の毛で、それを張る網やひも、また楽器の弦も羊の腸である。昔はその肩甲骨が書写板であり、皮は紙であった。「羊は命の糧」であり、いわば米、否、米以上であった。とすれば日本人が米を神聖視する以上に彼らが羊を神聖視しても不思議でない。
ユダヤ人が農耕を主とするようになっても、この風習は長く残った。これは古い伝統を守っただけでなく農耕牧畜併用であり、また周囲の遊牧民と接触をつづけたからであろう。従って、「羊」という言葉がまさに「お羊」で、「命の糧」といった特別な意味で、また「自らを殺して人を生かす」といった宗教的な意味で用いられても不思議ではない。新約聖書を開けば、「神の子羊」といったような表現が実に多いのに気づかれるであろう。
私が羊肉を初めて食べたのは、オーストラリアかニュージーランドだったと思います。
私は、羊肉の香りが好きで、ハーブをかけたシンプルな味付けが好きです。羊肉の香りは独特なので、好き嫌いが別れると思います。
参考文献 日本人とユダヤ人 山本七平