聖書を学んで思ったこと | Ayanosuke

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中学の歴史の授業でキリスト教に興味を持ち始め、オーストラリアの日本語教会で洗礼を受けクリスチャンになりました。
そんな私がミイラ取りからミイラになり、ミイラになり切れなかったことを感じた記録です。

聖書の学びは、新約聖書からでした。

最初は、「聖書ってこういう内容なのかぁ。」くらいにしか思っていませんでした。

 

16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

Ⅱテモテ 3:16

とあるように、自分の人生の指針を決めるときに、一つの基準になるのではないかと思いました。

 

しかし、私はこの時は気づいていなかったのです。

聖書が書かれた気候や地形、水、差別意識、動物に対する考え方等が

これまで自分が生活してきた日本のそれらとまったく違うことを。

聖書のエピソードの神髄は、その基盤からきていること。

少なくとも、私は教会でそれらの説明を聞いたことはありません。

不幸なことは、それらの基盤を知らずして聖書を読み進めても、

聖書が本当に伝えたいことは理解できないままになってしまうことです。