Ayanosuke

Ayanosuke

中学の歴史の授業でキリスト教に興味を持ち始め、オーストラリアの日本語教会で洗礼を受けクリスチャンになりました。
そんな私がミイラ取りからミイラになり、ミイラになり切れなかったことを感じた記録です。

4 エッセネ派

人里離れた荒野に禁欲主義、菜食主義をかがげて規律正しい暮らしをするエッセネ派(ギリシャ語:エッセーノ、英語:Essenes)という集団がありました。

エッセネ派の主な特徴は、エルサレムの神殿の慣習を認めず、財産を共有し、動物の生け贄を拒否したということです。

彼らにとって重要なことは、祈祷、研鑽(けんさん:物事を、みがき深めること)、霊魂の品格、沐浴による儀式的な清浄と清潔でした。

また、宗規に位階制を設けていました。

 

彼らは神殿と祭司職を巡る争いから身を引き、敬虔な信仰を守るために荒野に逃げ場を求めました。

彼らは真の信仰を維持し守っていくという使命を与えられた「義の人々」でした。

そしてそれは彼らが、自らをメシア的なエリート集団と考えていたことになります。

 

イエスは荒野で修練しましたが、世捨て人的な生活を送っていたわけではありません。

 

参考文献 死海文書の謎を解く ロバート・フェザー

3 熱心党

巷では実力行使派の動きも活発化していました。

熱心党(ギリシャ語:ゼーロータイ、英語:Zealots)というのは、律法への情熱と反ローマの急進的な民族主義的傾向が強い集団です。

彼らはローマ帝国に屈し、仕えることは不信仰と考え武力闘争という手段に訴えました。

その発端は紀元6年に徴税の目的でローマ帝国による人口調査が行われた時、ガリラヤのユダが抵抗運動を起こしたものです。

彼らは主にガリラヤ出身の農民です。

 

イエスの弟子の中に「熱心党のシモン」がいます。

また、イエスが逮捕された際、ローマの総督ピラトが釈放したバラバという人物も熱心党だと考えられます。

それからイエスが十字架にかけられた時、両脇にいた罪人も熱心党だったと考えられています。

 

ちなみに、十字架刑はローマの処刑方法でした。

ユダヤ人の処刑方法は石打ちでした。

当時、十字架刑に処せられる人は、何らかの「政治犯」でした。

福音書に書かれている限りのイエスの思想や運動は、こうした過激派的な活動とは一線を画するものだったようです。

 

参考文献 よくわかる新約聖書の世界と歴史 山口 雅弘

2 ファリサイ派

ユダヤ教信仰のもう一つの重要な柱は、「律法」と総称される伝統的な戒律の体系に忠実であることです。

巷にはファリサイ派(ギリシャ語:パリサイオイ、英語:Pharisees)と呼ばれる手工業を営む都市中産階級の宗教的知識人層がありました。

「律法学者」(律法を解釈、適用する学者)の多くはこれに属します。

細密化された律法を自ら厳粛に守り、民を指導するエリート層です。

ただ、ファリサイ派の困る面は、それを他人にも要求することです。

ですので、律法を守るゆとりも暇もない貧困層は彼らから差別的な目を向けられていました。

福音書によれば、イエスはファリサイ人や律法学者の「偽善的態度」に対する批判を繰り返しています。

「ファリサイ人」という呼称は今日、「煩瑣(はんさ:細かい点までこみいっていて、煩わしいこと)な形式を重んじる偽善者」の代名詞として一般的によく使われています。

 

映画『サン・オブ・ゴッド』(原題:Son Of God)でイエスに付きまとい、色々と非難している人です。

 

サドカイ派が消滅した後、ユダヤ教の主流派となり今日、シナゴーグ(ユダヤ教

会堂)でラビ(ヘブライ語で「偉大な」を意味する「ラヴ」に由来し「私の師」という意味)と呼ばれています。

 

参考文献 信じない人のためのイエスと福音書ガイド 中村 圭志