656、空海さんに誘われて(1) | 綾小路有則のスピリチュアル・レポート

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最近不思議な出会いが続いています。

 

 

水真先生 の潜在意識催眠を受けた知人達が、ほぼ100%、過去世で宇宙人だったときに、志を同じくした仲間であることが分かってきました。

 

 

録音したデータを何人かの方に聞かせていただきましたが、自分で語っているのに、

 

 

「それ、本当ですかぁー?!(°□°;)」

 

 

と、自分で驚いてい叫んでいるのが面白いです。

 

 

どうも、太古に「オリオン大戦」に参加していた方が多いようです。(心当たりあり)

 

 

それと不思議なのですが、名前に「水」の文字がついていたり、宇宙人だった際、「水陸両用」だったりする方が多いのにも驚きました。

 

 

だから「水」真先生の催眠を受ける運命になっているのかもしれません。(笑)

 

 

私も亀型宇宙人だったことがあるらしく、こんな動画を観ると、つい、手に汗を握ってしまいます。(笑)(笑)(笑)

 

 

 

↑この動画、凄いです!(;^_^A

 

 

 

 

↑最後の海亀の反撃が快挙です!(*^^*)v

 

 

 

それと、なぜか、弘法大師「空海」とご縁が深い人が多いことにも驚きました。

 

 

 

 

というわけで、ひょんなことから京都で空海さんを祀っている仏閣に取材に行ってきました。

 

 

企画時には、空海が大悟した室戸岬の「御厨人窟」」に行きたかったのですが、
 

 

 

 

 

諸般の事情で京都に行くことになりました。


しかし、この「諸般の事情」が、実は「神仕組み」だったようです。

 

 

 

 

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⭐️神護寺

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空海(774年-835年)は、室戸岬の「御厨人窟」で瞑想をしている際、宇宙と一体となる悟りを得ました。(伝記には、瞑想中に空海の口に明星が飛び込んできたと記されています。恐らく空海が19歳の頃です)

 

 

空海の俗名は佐伯眞魚(さえき まお)。

 

 

洞窟の中で目にしていたのは空と海だけであったため、「空海」と名乗りました。

 

 

空海は、延暦23年(803年)、中国語の能力の高さや医薬の知識面での推薦を活かして「唐」に留学し唐長安青龍寺の「恵果」和尚を訪ね、以降約半年にわたって師事することになります。

 

 

恵果和尚は、正統の真言密教を継がれた第七祖で、唐では右にならぶ者のない名僧でした。

 


空海の悟りを初対面で感じた恵果和尚は、全ての弟子を抑えて、異国の地からやってきた空海を後継者とし、「法」を正式に伝える儀式である「灌頂(かんじょう)」を行いました。

 

 

これは、常識的にはあり得ないことです。

 

 

空海も恵果も、大悟して霊力を得ていたため、仏命がくだり、即「灌頂(かんじょう)」に至ったのでしょう。


20年の留学予定でしたが、十分な成果を得たため、空海はたった「2年」で帰国しました。

 

 

 

 

 

 

「神護寺」は、高野山真言宗遺迹(ゆいせき)本山。

 

 

 

 

 


空海が唐留学から帰国後、「和気氏」に招かれて14年間住持した寺院です。

 

 

空海は、この後「東寺」、「高野山」を運営しました。

 

 

ということで、

 

 

神護寺は実質上、弘法大師「空海」の「日本デビューの地」といっても過言ではないかもしれません。

 

 

この事実は私も知りませんでしたので、とてもありがたい「神仕組み」でした。(_ 人 _)

 

 

 

 

 

 

 

↓「ト」?

↓ 珍しい風景です。🤣 🤣 🤣

 

 

 

 

 

 

取材した日は、僧侶と神主が共同で祭事を行なっていました。

 

 




 

 

偶然この祭事に遭遇しました。


とても珍しいことだそうです。ヾ(^ω^*)

 

 

 

 

 

 

神護寺の境内には、本尊「薬師如来立像」をはじめ、「五大虚空蔵菩薩坐像」など、多くの国宝が残されています。

 

 

そして、空海が描いたとされている国宝「紫綾金銀泥絵両界曼荼羅図(むらさきあや ・きんぎんでいえ・りょうかいまんだらず)」の原寸大模写が初公開されていました。

 

 

 

 

 

実物は撮影禁止だったので、許可を取って、説明図を撮影させていただきました。

 

 

 

 

 

 

初公開された曼荼羅は、 江戸時代の1793年(寛政5)年に光格天皇の勅願で修復された際に原寸大で模写されたものです。

 


慈悲を表す「胎蔵界(たいぞうかい)」と、大日如来の智慧を説く「金剛界(こんごうかい)」の一対で構成され、「両界曼荼羅」と称されています。

 

 

それぞれが縦横約4メートルで、重さは約20キロ。

 

 

これまでに公開されたことはないそうです。

 

 

原物は、赤紫色の綾地に金泥・銀泥(きんでい・ぎんでい)で描かれた現存最古の両界曼荼羅とされ、空海が唐で授けられた曼荼羅の図様をもとに、淳和天皇の御願(ごがん / 地位ある人の立っての願い)により天長年間(824~833)に描かれたと考えられています。

 

 

空海自身が直接制作に関わった、現存する中で唯一の両界曼荼羅だそうです。

 

 

空海は、芸術の才能も豊かだったんですね!ヾ(^ω^*)


 

両界曼荼羅の原物は、京都国立博物館で保管されているため、拝観することはできません。

 

 

傷みが激しく、2022(令和4)年4月まで6年にわたる大規模修復が施されました。

 

 

 

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⭐️高山寺

 

 

 

 

 

 

 

高山寺は京都市右京区栂尾(とがのお)にある古いお寺。

 

 

高山寺を代表する宝物は、「鳥獣人物戯画です」。

 

 

 

 


 

 

 

建設されたのは奈良時代に遡るといわれています。

 

 

その後、神護寺の別院であったのが、建永元年(1206年)「明恵上人」が後鳥羽上皇よりその寺域を賜り、名を高山寺として再興しました。

 

 

私は、明恵上人には、強い関心があります。

 

 

『栂尾明恵上人伝記』によれば、明恵上人の周囲では、たびたび不思議な出来事が起こったそうです。

 

ある時、明恵上人は修行している最中、侍者を呼んでこう言いました。

 

 

「手水鉢の中に虫が落ちたようです。

 

 取り上げて逃がして来なさい」

 

 

侍者行ってみると、蜂が溺れていたので、急いで取り上げて逃がしてあげました。

 

 

あるときは、坐禅の最中に侍者を呼んで次のように言いました。

 

 

「後ろの竹原で小鳥が何かに襲われているようです。

 

 行って取り離して来なさい」

 

 

侍者行ってみると、雀が小鷹に襲われていたので、追い払ってあげました。

 

 

ある日の夜更けには、明恵上人は炉辺に坐していましたが、突然、

 

 

「ああ、大変だ。早く見つけないと食べられてしまう。

 

 火をともして早く追い払って来なさい」

 

 

と言うので、僧が「何事ですか」と尋ねますと、

 

 

「湯屋の軒下の雀の巣に蛇が入った」

 

 

といいます。

 

 

外は闇夜なのに「なぜそんなことが分かるのだろう?」と僧は思いつつ、ロウソクを灯して行ってみると、大蛇が巣にまとわりついて雀の雛を飲みかけていたので、追い払ってあげました。

 


侍者の僧が、

 

 

「明恵上人は、菩薩の化身だと人々は申しております」

 

 

と言ったところ、明恵上人は、はらはらと涙を流して、次のように言いました。

 


「私のように禅定(心を静めて一つの対象に集中する宗教的瞑想)

 

 を好み、仏の教えの通りに修行してみなさい。

 

 すぐにお前たちも、私と同じようになるだろうよ。

 

 私は、そようになろうとは全く思っていなかったのだが、

 

 仏の教えの通りに修行して長年になるので、

 

 知らぬ間に法力が身についたのだ」


 

 

私もあやかりたいものです。(_ 人 _)

 

 

 

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⭐️高山寺「金堂」

 

 

 

 

 

 

承久元年(1219年)に完成した本堂は、東西に阿弥陀堂、羅漢(らかん)堂、経蔵、塔、鐘楼、鎮守を従えた檜皮葺(ひわだぶき)5間4面の堂宇で、運慶 作の「盧舍那仏(るしゃなぶつ)」などが置かれたそうです。

 

 

ところが、その本堂は室町時代に焼失し、現在の金堂は江戸時代寛永年間(1624年〜44年)に御室仁和寺真光院から古御堂を移築したものだそうです。

 

 

現在は、釈如来像を本尊としています。

 

 

 

 

 

 

ちなみに、

 

 

「盧舎那仏(るしゃなぶつ)と毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)の違いは何ですか?」

 

 

と聞かれることがあるのですが、それは、

 

 

廬舎那仏(るしゃなぶつ)は、正式には毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)と言う名称で、サンスクリット語 の「光り輝く者」を意味する「ヴァイローチャナ(Vairocana, 梵: वैरोचन)」を音訳したものです。

 

 

特に「マハー・ヴァイローチャナ(摩訶毘盧遮那仏:Mahāvairocana)」と「マハー(偉大な、真の)」が付いた場合は、「大日如来」を表します。

 

 

 

 

インドの古代ヴェーダの神々は、古代イラン文明と活発な交換がありました。

 

 

日本の実業家であり、著述家の 松岡正剛 氏は、著作『空海の夢』で、古代ヴェーダのアスラが、古代イランの最高神、アフラとなり、後にゾロアスター教の光の神「アフラ・マツダー」となり、そして「大日如来」になった経緯を説明しています。

 

 

 

イラン、ヤズドの火の寺院にあるゾロアスター教のシンボル
 

 

 

 

 

 

 

 

 

要するに、

 

 

仏教の「大日如来」、ゾロアスター教の光の神「アフラ・マツダー」、イエスさまが「父」と呼んだ「エローヒム」、イスラム教の神「アッラー」、etc、etc…

 

 

世界的な宗教で、太陽神、光の神、主と呼ばれている存在は、姿を変えた同じ存在、大宇宙の 根本神(根本仏)ということです。

 

 

何を言いたいのかといいますと、

 

 

「うちの神さまだけが本物で、他の宗教の神さまは、皆悪魔だ!」

 

 

と言って戦争をするのは、もうやめましょうということです。

 

 

太古からの この難問 を解決することができれば、地球に宇宙時代が訪れ、根本神(根本仏)に仕える宇宙人達との交流が始まるでしょう。

 

 

ちなみに、翌日「渡月橋」に行きますと、日輪が出現しました。

 

 

日輪に恵まれる男です。(笑)


しかし、本当によく遭遇しますわ。😅💦

 

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

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