【再掲版】Greatest Journey in my life | 北海道遊び人NEWS

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元東京在住でしたが、北海道の楽しさにハマって、2023年7月、北海道移住しました。全道を遊び歩いています。(訪問日・実施日と記事は順不同です)

 

2019年5月3日に投稿した記事ですが、

53年前の今日

1971年6月2日

かかわる記事ですので、

再編集、再投稿させていただきます。

 

 

1971年6月2日

19歳だった私は(はい、そこのあなた計算しない・笑)

横浜港大桟橋から、

ナホトカ航路のソ連船バイカル号で旅立ちました。

 

見送りに来た友人と乗船前の記念写真。

私は左側です。

二人のあいだの青い大きなバッグには、

この旅のためにオーダーした

ロングツーリング用のサイクリング車が入っています。

(折り畳み式ではなく、分解してあります)

そして、そのサイクリング車に装備する

バッグが全部で5つ。(一つは見えません)

 

 

中学時代から一人で泊りがけのサイクリングを始め、

学校の休みのたびに、東北や紀伊半島、四国や、

近場の伊豆や信州を走り回りました。

(残念ながら北海道・九州は走っていません)

その延長線上に、

ヨーロッパツーリングがありました。

 

バイカル号に乗船し、

見送りに来た両親や兄弟、友人たちと繋がる紙テープ。

旅への期待はもちろんあるのですが、

それ以上の不安に押しつぶされそうな、

悲し気な顔をしています。(画像中央)

 

横浜から太平洋を北上。

津軽海峡を抜け、日本海を横断、旧ソ連のナホトカへ。

そこから、シベリア鉄道、ソ連国内線飛行機を乗り継いでモスクワへ。

再び鉄道で、レニングラード(現在のサンクトペテルブルグ)を経て、

フィンランドの首都ヘルシンキへ。

(当時、このルートの片道切符を日本交通公社が販売していました)

 

ヘルシンキから

自転車の旅が始まりました。

 

1ヶ月ほど過ぎた、

1971年7月

デンマーク・ユトランド半島の最北端Skagen

(スカーゲンまたはスケ-エン、スカーイェン)にて。

 

1971.09.12 

オーストリア・グロースグロックナー道路

カイザー フランツ ヨーゼフ ヘーエ展望台。(標高2369m)

 

 

 

1971年9月

スイスのサンモリッツ周辺を走る

 

同じく

1971年9月

スイスのユースホステルを出発する私。

 

1971年11月

フランス・マルセーユで子供たちと。

 

訪れた国

旧ソ連・フィンランド・スウェーデン・ノルウェー・デンマーク・

旧西ドイツ・オーストリア・リヒテンシュタイン・スイス・フランス・

モナコ・イタリア・ベルギー・オランダ・イギリス

 

結果的に

諸事情により7か月の旅で12月に帰国しましたが、

当初の計画では1年6か月の旅でした。

そのため、旅の後半に予定していた南欧、

ギリシャやイタリア南部、スペイン、ポルトガルには行っていません。

また、まだ「ベルリンの壁」が存在していましたので、

東欧は訪れることができませんでした。

 

諸事情とは、

当時は1ドル360円の固定相場で、

外貨持ち出しが500ドルまでと制限がありました。

そのため、資金が乏しくなったのが最大の原因です。

 

あくまでも、私の旅は

日本国内で楽しんでいた自転車遊び、ツーリングの延長であり、

現地でアルバイトしながらの無銭旅行、貧乏旅行ではないのです。

帰りの飛行機のチケットをオープンで用意していましたので、

年の暮れになり、「お正月は日本がいいなぁ」という

里心が心の中で膨らんできたことも帰国を促しました。

 

 

私の人生最大の旅

Greatest Journey in my life.

 

もう二度とできない、若くはないし、、、、