俺の好みのカラオケ喫茶でのこと | 孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

60才で定年退職し家庭内離婚実行中の孤独なACの万年青年が、男女の交遊を求めて彷徨うさまを記録します。

またコメダに来た。

 

俺は昨日、車で1時間20分かかる彼女の地域に行き、彼女と共にさらに20分かけて、コロナ前によく通っていたカラオケ喫茶に行った。約8ヶ月ぶりだ。

 

そこは、店主のマスターはカラオケの部屋の外側におり、客がいる場の進行に関与せず、客が一曲づつ自分で入力して歌う、歌い放題の店だ。

よってそこは、客同士が自分らで雰囲気を作り、進行していく場なのだ。

 

俺はここが気に入っており、遠いが、たぶん3、4年前から常連になって彼女と来ていて、客もだいたいが顔見知りで、久しぶりに訪れたので、マスター始め客も驚いていた。

 

俺はここでは自然と盛り上げ役になり、人が歌った後の拍手と時々の声かけをする。

俺はこの集団で自由でおろうとしているのだが、結果的にはこの場の雰囲気を作っているかもしれない。

 

そんな中で、いつもあることだが、連れ合いの女に大きな声で私語をする男がいた。

 

このカラオケ喫茶は比較的音量が小さいので、私語が大きいと聞く方が歌に集中できず、そっちの方に気がとられ、不快なのだ。

 

俺から言わせると、そういう客は周りの意識を自分に集中させたくてやっているのだが、周りは分からず、自分達に向けているのではないので、対応のしようがない。

 

俺も今までこの対策に苦労してき、注意して喧嘩になりそうになったり、一部には嫌われてきただろう。

 

今回は俺は、「排除する」のイメージを持ち対応したところ、その男の声がそれほど気にならなくなり、彼らに左右されず、それまでと変わらず、いやもっと強く拍手応援ができた。

 

こうすると、全体の意識も彼らにはそれほど向かわず、その男の自分に注目させようとする意図はくじかれ、また俺の強い態度に、わざと大きい声で話していた者もたじろぐのだ。

 

これは少し前に書いた、テニスで俺と内心敵対している、常に中心を取ろうする男と女に対していて獲得した、俺のイメージと態度で、集団全体を排除し、集団の主導権争いからから自由になる心境かもしれない。

 

こうして帰ってからの風呂でのトラウマ解消では、胸腹の固まりが大きく溶けた。

これは、俺の集団に入っていたいという、俺の長年の無意識的欲求(トラウマ、体の固まり)が、全てではないが一部溶けて無くなったということだろう。