コメダにて~「対等だ」で具体的に対応した | 孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

60才で定年退職し家庭内離婚実行中の孤独なACの万年青年が、男女の交遊を求めて彷徨うさまを記録します。

またコメダにいる。

朝から球出し機で1人1.5時間テニス練習し、まだやりたかったが風が強くなって来たので引き上げ、その後腰痛対策のウオーキングに20分出て、その後昼から1人カラオケを1時間して、コメダに来た。

 

来てから1時間、ネットでラインの勉強をして今になる。

気分的にはいい気分で、1人いることが心地いい。

 

周りはいっぱいで、それぞれしゃべっているか、1人で来ている男性女性もいる。

まあ俺は「対等だ」の気分で、誰かと、この全体の中で、オープンにしゃべりたい気分があり、たぶん今まであった、1人でいることの引け目は無くなり、どちらかというと、1人でいることが誇らしい感じだ。

 

ただ何もしていないと退屈なので、こうしてブログを書いている。

 

今しがた、ちょっとだけ顔見知りの、いつものカラオケ喫茶グループの年上男女に似たメンバーが来て、ちょっと考えた。

このまま「対等だ」で通せるかだ。

 

成り下がった不自由な挨拶は「こんちは」だが、「対等だ」では、俺の挨拶は「よす」だ。10歳以上の彼らにそれが通せるか、ということだ。

 

まあ今の俺は、それが通せるか、というか通すのだが、この言葉と態度で相手がどう出るかだ。

 

今、その中の喫茶のママと俺と同年代の男性が近くに座ったので、「対等だ」の気分で「よす」と言い、顔でも合図したら、2人とも俺のそばに来て少し話し、また歌いに来てやと言ってくれた。

 

その後も10歳以上上の顔見知りの年上男性が来て、俺がその調子で挨拶したら、一言二言話しして、また来てやと、近くにいたさっきの男女のところに座った。

 

今俺はこれを書きながら、ちょっと緊張あるいは集中している。

「対等だ」を意識的に維持しなければ、成り下がって不自由になり、彼らのグループに成り下がった態度をとる。

そうすると、受け身になり、言葉も出て来ない。

これは今の俺のイメージには合わないので、受け入れられない。

 

まあこうして、実際今出て来ているトラウマないしは抑圧と戦っていると、帰ってからトラウマがどんどん溶けてきて、本物になってくるのだ。

 

この場面は今からどうなるか分からないが、とりあえずこの気持ちを続けるのみか。

 

さっき、この中で誰かと話したいと書いたが、まだ彼らに自分から話しかけることはできない。

 

俺はこの店に来てから2時間たつが、彼らが先に出れば俺は楽に挨拶だけで済む。

まあこの状態を続けるだけで充分いい訓練になるのだが、俺から先に出るのは、もったいない気分もあるし、知らない半分の人も含めて彼ら6.7人を相手に対峙するのは、ちょっと億劫だ。

挨拶だけなら、何とかなるが、話になったらちょっと面倒だ。

 

どうしたものか考えていたら、「超越する」が出て来た。

これなら余裕を持って話せそうだ。

 

さてどうするか。