またコメダにいる。
朝から球出し機で1人1.5時間テニス練習し、まだやりたかったが風が強くなって来たので引き上げ、その後腰痛対策のウオーキングに20分出て、その後昼から1人カラオケを1時間して、コメダに来た。
来てから1時間、ネットでラインの勉強をして今になる。
気分的にはいい気分で、1人いることが心地いい。
周りはいっぱいで、それぞれしゃべっているか、1人で来ている男性女性もいる。
まあ俺は「対等だ」の気分で、誰かと、この全体の中で、オープンにしゃべりたい気分があり、たぶん今まであった、1人でいることの引け目は無くなり、どちらかというと、1人でいることが誇らしい感じだ。
ただ何もしていないと退屈なので、こうしてブログを書いている。
今しがた、ちょっとだけ顔見知りの、いつものカラオケ喫茶グループの年上男女に似たメンバーが来て、ちょっと考えた。
このまま「対等だ」で通せるかだ。
成り下がった不自由な挨拶は「こんちは」だが、「対等だ」では、俺の挨拶は「よす」だ。10歳以上の彼らにそれが通せるか、ということだ。
まあ今の俺は、それが通せるか、というか通すのだが、この言葉と態度で相手がどう出るかだ。
今、その中の喫茶のママと俺と同年代の男性が近くに座ったので、「対等だ」の気分で「よす」と言い、顔でも合図したら、2人とも俺のそばに来て少し話し、また歌いに来てやと言ってくれた。
その後も10歳以上上の顔見知りの年上男性が来て、俺がその調子で挨拶したら、一言二言話しして、また来てやと、近くにいたさっきの男女のところに座った。
今俺はこれを書きながら、ちょっと緊張あるいは集中している。
「対等だ」を意識的に維持しなければ、成り下がって不自由になり、彼らのグループに成り下がった態度をとる。
そうすると、受け身になり、言葉も出て来ない。
これは今の俺のイメージには合わないので、受け入れられない。
まあこうして、実際今出て来ているトラウマないしは抑圧と戦っていると、帰ってからトラウマがどんどん溶けてきて、本物になってくるのだ。
この場面は今からどうなるか分からないが、とりあえずこの気持ちを続けるのみか。
さっき、この中で誰かと話したいと書いたが、まだ彼らに自分から話しかけることはできない。
俺はこの店に来てから2時間たつが、彼らが先に出れば俺は楽に挨拶だけで済む。
まあこの状態を続けるだけで充分いい訓練になるのだが、俺から先に出るのは、もったいない気分もあるし、知らない半分の人も含めて彼ら6.7人を相手に対峙するのは、ちょっと億劫だ。
挨拶だけなら、何とかなるが、話になったらちょっと面倒だ。
どうしたものか考えていたら、「超越する」が出て来た。
これなら余裕を持って話せそうだ。
さてどうするか。