また一つ脱皮した | 孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

60才で定年退職し家庭内離婚実行中の孤独なACの万年青年が、男女の交遊を求めて彷徨うさまを記録します。

今コメダコーヒーにいる。

さっき、カラオケ喫茶で顔見知りの集団が、レジで支払いをしていた。

彼らはよく来ており、2.3回はどちからともなく挨拶し、一言二言言葉を交わしたことがある。

 

俺は今までも、今回も、彼らと顔を合わせそうになると、知らん振りをして避けたい気持ちが出てくる。

 

これは何かということだが、彼ら男女は俺より一回りは年上なので、自然にしていると子供のように下手に、へりくだった態度をとりそうになる。

だけどもう一方の俺は、そんな子供のような受け身の態度は許さない。

 

テニスや以前のカラオケ喫茶では、対等な意識と態度でやって来たと思うが、こういう不特定多数の世間の中では、なかなかこれが難しい。

 

今までも彼らを見るたびに自分の中で、「集団から出ている」「集団に入っていない」「集団を超越する」「人ごとだ」等の言葉とイメージで、本当の自分を模索してきた。

そしてその度にトラウマが溶けてきた。

 

そして、さっき彼らがこっちを向けば挨拶を交わそうとしたが、彼らがこっちを見なかったのでそのままに終わったが、その後いいイメージが出てきた。

 

それは「対等だ」というイメージだ。

これは今まで俺が何回も使ってきたイメージの一つだが、こういう場では、やっと出てきたものだろう。

 

年上の人には、生意気に思われるのを恐れて、また決まった集団の中ではずっとやってきたものだが、不特定多数の世間の中で、なかなか出てこなかったイメージだ。

 

これは多分、幼少期の田舎のふるさとでの世間の大人達に対する「いい子ちゃん」の態度からの脱皮だろう。

 

これでまた一つ自由になった。