「悪い」という自己イメージで「いい人」から脱却 | 孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

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60才で定年退職し家庭内離婚実行中の孤独なACの万年青年が、男女の交遊を求めて彷徨うさまを記録します。

一昨日日曜日は午前中ゴロゴロし、昼からシニア男子部のテニスに行った。

テニスは、フォアハンドのストロークのフォロースルーで、肘から先を体に引き寄せる打ち方に変えつつあり、速い球が出だし、それに伴って相手のミスが多くなった。

昨日は午前中サッカー場の壁で壁打ちをした。

ここでは、ボレーのフォアでは人差し指、シングルハンドのバックでは親指の使い方に気がつき、ステップアップできそうだ。

昼からは隣市のカラオケ喫茶MKに行った。

昨日は好みの女性は誰も来なかったが、俺はあることに気がついた。

場面はこうだ。

昨日は人が多いため、カウンターに座っていたが、人が割と少なくなったのに、なかなか俺の歌の順番が来ない。

ママは順番をわざと飛ばすような人ではないので、俺はママが間違って、俺のがぬかっていると思ったが、それをママに聞いて確かめることができにくいのだ。

俺はそこで考えた。

それは俺は、俺に表面上好意的な人が、故意にあるいは故意でもなくても俺に被害を与え、俺に被害感情が出た時、俺はその人の好意を失いたくないので、いい人の顔しか出すことができず、その被害に対して抗議ができないのだ。

そこで俺はいろいろ考え、結局「悪い」という言葉とイメージを考え出し、「いい人」から脱却した自己イメージを作った。

俺はいつも、俺に表面上好意的な人に悪い感情を出さないようにしていたようだ。

このカラオケの順番は、そのうちに俺のが出てきたので、何事もなく済んだのだが、この「悪い」という自己イメージは今までに無く初めてのものであり、おかげで新しい自己イメージを見つけることができ、自由がさらにふくらんだ。