一昨日は朝からテニスの大会に行った。
気分はほとんど不安も無くなり、俺は元気に、先にベンチコートに集まっている出場者達に挨拶をして、中に入った。
面識のあるのは若い女性やベテラン2人くらいだったが、俺は彼らに場違いで間違って出場することになったことを、大きな声で話した。
そのうちにペアの男性も来、彼もよそから来た一番強い男性を知っていたり、もう一組若い仲間のペアが来たりして、俺達もテニスでは劣るが一つのグループになり、心強くなって来た。
試合は案の定レベルが違うので、3試合とも全敗だが、それでもシャットアウトでは無く、ほんの少しだけ善戦したので、俺としては上出来だった。
ただ敗者戦で、勝てる可能性が出て来た時に、俺がサーブで2ポイント失敗したことは、俺の勝負弱さが出てしまいこれだけは、残念だった。
休憩時には常連でない俺達四人は、固まって試合を見ながら話したりしていた。
そのうちに俺は、他の人の試合を見ながら、俺より下手な選手はいないか探している自分に気がついた。
俺はやはり自分らがテニスが劣等で、場違いではないか気になっていたのだ。
そこで俺は「劣等でもいい」というイメージが出てきて気が楽になり、多少面識のある上手い人らに、気軽に声をかけれる気持ちになり、何人かに声をかけたりした。
スポーツの場の人間関係は、全て実力で上下が決まってくるところがあるが、俺はこのためテニスの上位の人達の下になることになり、これが嫌で俺はこういう場が苦手だったのだ。
「劣等でもいい」はそれを破った画期的な意識で、今後は彼らテニス上位者にも、遠慮無く接することができそうだ。
夜風呂でのトラウマ解消は、何故か昼間無視された、テニスの上手いスタイルのいい若い女性に、若干無視され気味だったことを思い出し、トラウマがどんどん溶けた。
これは表面愛想のいい女性の気持ちを欲しがるトラウマだが、これも解消しつつあるようだ。