「劣等でもいい」 | 孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

60才で定年退職し家庭内離婚実行中の孤独なACの万年青年が、男女の交遊を求めて彷徨うさまを記録します。

一昨日は朝からテニスの大会に行った。

気分はほとんど不安も無くなり、俺は元気に、先にベンチコートに集まっている出場者達に挨拶をして、中に入った。

面識のあるのは若い女性やベテラン2人くらいだったが、俺は彼らに場違いで間違って出場することになったことを、大きな声で話した。

そのうちにペアの男性も来、彼もよそから来た一番強い男性を知っていたり、もう一組若い仲間のペアが来たりして、俺達もテニスでは劣るが一つのグループになり、心強くなって来た。

試合は案の定レベルが違うので、3試合とも全敗だが、それでもシャットアウトでは無く、ほんの少しだけ善戦したので、俺としては上出来だった。

ただ敗者戦で、勝てる可能性が出て来た時に、俺がサーブで2ポイント失敗したことは、俺の勝負弱さが出てしまいこれだけは、残念だった。

休憩時には常連でない俺達四人は、固まって試合を見ながら話したりしていた。

そのうちに俺は、他の人の試合を見ながら、俺より下手な選手はいないか探している自分に気がついた。

俺はやはり自分らがテニスが劣等で、場違いではないか気になっていたのだ。

そこで俺は「劣等でもいい」というイメージが出てきて気が楽になり、多少面識のある上手い人らに、気軽に声をかけれる気持ちになり、何人かに声をかけたりした。

スポーツの場の人間関係は、全て実力で上下が決まってくるところがあるが、俺はこのためテニスの上位の人達の下になることになり、これが嫌で俺はこういう場が苦手だったのだ。

「劣等でもいい」はそれを破った画期的な意識で、今後は彼らテニス上位者にも、遠慮無く接することができそうだ。

夜風呂でのトラウマ解消は、何故か昼間無視された、テニスの上手いスタイルのいい若い女性に、若干無視され気味だったことを思い出し、トラウマがどんどん溶けた。

これは表面愛想のいい女性の気持ちを欲しがるトラウマだが、これも解消しつつあるようだ。