昨日のテニス大会であったこと | 孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

60才で定年退職し家庭内離婚実行中の孤独なACの万年青年が、男女の交遊を求めて彷徨うさまを記録します。

今はまだ夜中の3時半だが、俺は目が覚めてしまい、悔しい思いを残している。

というのは、昨日は朝からシニアテニスの対外の試合に行き、力を出し切れなかったからだ。

勝敗は一勝三敗でどの試合も接戦だったが、俺は俺が一番得意としていたフォアのストロークの打ち方が分からなくなり、情けないことにただのゆるい球を返すのが精一杯になったのだ。

結論から言えば、俺はこのひと月くらい前からようやく正しいと思えるフォームを身につけ、そのフォームを常に意識して打っていたのだが、昨日はその意識を全く忘れてしまっていたのだ。

というのは俺はもっと上の打ち方を目指し出し、その結果手先だけの打ち方になってきて、基本となるフォームを意識することがなくなっていたのだ。

このことは試合後も分からなかったが、帰って壁打ちに行って始めて分かった。

それと、昨日は人より早く帰ったのだが、それは女性陣と顔を合わせたくなかったこともある。

昨日も俺に近づいてきて話した女性は、俺に好意的な3人と攻撃的だが、近づいてくる女性くらいで、あとはほぼ無視だ。

俺も避けているし、向こうも避けている。

それはそれでいいのだが、問題は俺が負けがこんだことで、向こうが勢いづき、弱気な俺に攻勢をかけてくる恐れを感じたのだ。

まあ優越感と劣等感というか、向こうは優越感でくるし、こっちは劣等感が出る。

このことは今は解決し、「優越させない」という言葉とイメージで対応できる感じがする。

それとは別に、昨日の夜の風呂でのトラウマ解消は、親戚のおじさんが対象になった。

というのは昨日はテニスの悔しさなど残っていたのに、トラウマはなかなか溶けなかった。

あれこれしているうち、昨日のテニスで一緒にいた会の世話役の男性がちょくちょく思い出され、それでトラウマが溶け出したのだ。

これは何かと考えたところ、親戚のおじさんではないかと思いつき、親戚のおじさんに変えてみたら、トラウマがドンドン溶け出したのだ。

そこで俺は、おじさんが俺を裏切った場面を自己催眠で思い出したところ、俺の幼少期の叫び声が出てきた。

おじさんは俺をその家に引き込み、俺を可愛がり(と俺は思っていた)、俺はおじさんを一番頼りに、し慕っていた。

しかしおじさんは、おばさんや彼らの娘が俺に辛く当たったり、その家にいることを非難した時守ってはくれず、知らん顔をしていた。

俺がその家にいるのは、彼が俺をこさせるようにしているのにだ。

時には俺の家まで呼びに来たこともあるくらいだ。

おじさんは表面は優しいが、裏では俺を利用し、地域で有力な俺の家との繋がりをアピールして、よそ者の立場をカバーしていたのだろう。

昨日の風呂でのトラウマ解消で何回もテニスの世話役男性が出て来たのは、表面は優しそうだが裏は常に優越しないと気が済まず、人を利用して後は知らん顔をするところなど、彼におじさんと似たところがあり、トラウマが刺激されたのだろう。

というようなことで、そう行きたくもないテニスの試合であったが、またしても得るところが多い1日であった。