「大人だ」という他集団に下手に出ないイメージ | 孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

60才で定年退職し家庭内離婚実行中の孤独なACの万年青年が、男女の交遊を求めて彷徨うさまを記録します。

昨日は午前中家でゴロゴロ、ギターの練習やウィンブルドンの録画を見たり、孫の子守りをしたりした。

ギターは学生時代フォークソング全盛で、俺も人並みに一応ギターをやっていたのだ。

しかし歌が全くダメだったのでギターもうまくいかなかったが、今は歌が上手くなったので、ギターでフォークソングをもう一度やりたいのだ。

昼からはテニスコートに市の公式試合を見に行った。

試合はダブルスで、俺が知っている人も出ていたり、俺より下手な人も出ていたりして、俺も出たい気持ちが強くなり、練習意欲がまた出てきた。

その後一人カラオケはいっぱいとのことだったので、新カラオケ喫茶に行った。

一人でここに行くのはまだ少し抵抗があったが、常連の中でまあそれなりにやっていたら、M夫から電話がありやって来た。

夜風呂でトラウマ解消していたら、テニスの公式試合に出たいが、一人で出るのに抵抗があるのはトラウマではないかと思いつき、そのテニスの公式試合の集まりの場面でその集団に負けない、「上だ」というイメージでトラウマ解消したら、トラウマがどんどん溶けてきた。

これは新カラオケ喫茶での不自由さも同じで、俺が入ってない集団に一人で対応する時、遠慮がちで下手にで出、自分を出せないのだ。

「上だ」は語弊があり抵抗があるので、「大人だ」で一人でも他集団に下手に出ない対応ができそうだ。