「劣等でもいい」という新しい気づき | 孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

60才で定年退職し家庭内離婚実行中の孤独なACの万年青年が、男女の交遊を求めて彷徨うさまを記録します。

昨日は午前中畑でジャガイモの追加の植え付け、午後はグループ女性の個室カラオケに参加した。

この集まりはいつも6時間近く、男女5、6人で歌い続けるのだが、今回俺はイマイチ気が乗らなかった。

歌についてお互い褒めるだけで、あまり自由に物が言えない雰囲気があるのだ。

しかし行けば行ったでいいことがある。

それは一回誘われて来たことのある少し変わった男が、今回は呼ばれもしないのに来たのだ。

彼はしきりに俺の隣の女性に話しかけ、女性もなにか異常にテンションを上げて相手していた。

俺は置いてけぼりで一人きりになり、居心地が悪かったがいい経験ととり、この動揺の原因は何かいろいろ考えたが、その場では分からなかった。

帰って考えたら、一つはその男は、集団の中で常に自分が優位に立とうとする傾向があり、そのため隣の女性に話し掛けて全体を注目させ、中心を取ろうとするのだ。

女性がなぜ少し柄の悪い変な男に、そこまで相手するのか俺には今も分からないが、俺はその女性の態度にも少し異常さを感じつつも、いじける気持ちがあった。

つまり、男が優越的な態度をとろうとし、女性がその男に理由はともあれ擦り寄るからだ。

これはテニス元グループの優越しようとする男性と女性達の会話と全く同じだ。

俺は今までは「優越させない」とか「上だ」などの言葉とイメージで対応していたが、今回は初めて「下になってもいい」「劣等でもいい」という気持ちが出て来た。

俺は今まで人より下になることが出来なかったのだ。

幼少期から学生時代にかけても、先輩達とは上手くいかなかった。

同級生の中だけで生きてきた。

職場でもうまくいかなかった。

俺は人より下になったり、劣等になることができず、そういう場面になると動揺してきたのだ。

今回初めてこのことに気がついた。

そして今日午後カラオケ喫茶に行き「劣等でもいい」で今まで以上にさらに自由になり、気楽に年上の男性や女性に対応でき、同時にそのトラウマもどんどん溶けてきた。

今後がまた楽しみだ。