同時に別々の親しい女性と話ができる | 孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

60才で定年退職し家庭内離婚実行中の孤独なACの万年青年が、男女の交遊を求めて彷徨うさまを記録します。

昨日は早朝テニスの壁打ちをし、その後娘の結婚式で俺が着るものの検討をし、昼前に図書館へ行った。

そして1時過ぎに、グループ女性が来る日なのでカラオケ喫茶に行った。

グループ女性は最近は5人になっているが、昨日は3人来ていた。

俺は中心女性Oさんの隣に座った。

この女性は何か惹かれるが、その反面俺を不自由にさせるところがある。

何か考えたら、常に俺を意識し注視しているところがある。

これがおれを不自由にさせ、何か子供っぽい受身の意識にさせるのだ。

俺はこれを打破するため、いろいろな言葉とイメージを持ってきたが、最終的に、俺だ、という言葉とイメージで彼女から自由になった。

そうしているうちにいつの間にか、ここでもう一人最近親しくしている女性、Tさんが来ていた。

Tさんは1人一番後ろの席に座っていた。

俺は、俺だ、の言葉とイメージでOさんから自由になっていたので、Tさんに何度かあいさつの合図をした。

Tさんは俺が他の女性と一緒にやっているので、俺と顔を合わせようとしない。

最後には俺は、彼女の歌の採点画面が出たので、離れた自分の席から、まあまあかいね、と大きな声で声をかけた。

Oさんはやはり目を合わせなかったが、悪い気はしなかったはずだ。

俺は、同時に二組の親しい女性と話が出来る心境を開発できたようだ。

帰ってからウォーキングに行き、風呂に入って自己催眠していたら、思いがけない人が想定されてきた。

幼少期いつも行っていた親戚のおじさんだ。

この人は俺を可愛がってくれ、俺が心を一番開いていた人だ。

この人が俺を親戚の家に引き込み、俺はこの人を頼りにその家を自分の家のようにしていたのだ。

そのくせ都合が悪くなると、俺を見捨て、おばさんや娘にいじめられ、排除されるのを、見て見ぬふりをしていた。

俺は悲しかった。

この人は俺にあまり害を与えていないと感じてきたので、ほとんど自己催眠の対象にしてこなかった。

しかし昨日の自己催眠では、この人に対する愛着を捨てるというイメージで、トラウマがだいぶん溶けた。

びっくりした。