私の心の奥の小さな部屋6 | ayamamagogo2020のブログ

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私に関わってくれているまわりのいろんな方々の支えのおかげで、私はなんとか前に進むことができた。


家族の『死』がだんだん理解できてきたころ、私の心は次の段階に入った。


思い出と、後悔の嵐。


少しずつ兄との日々を思い出すことができるようになってきて、始まった。


兄と兄の婚約者と最後に行ったカラオケで、兄が歌っていたミスチルの曲。ミスチルがすごく好きだった兄。

あの時の兄の笑顔は輝いていた。

とっても楽しい時間だった。


東京にいる兄と過ごすために、家族で何度も訪れた横浜。

横浜のみなとみらいにあるホテルに泊まってみんなで過ごすのがお決まりのパターンだった。

ホテルはいつも同じで、行くところも同じだったけど、一緒に買い物したり楽しかった。


兄に会うためにはじめて1人で東京にいったこともあった。

就活のために東京に行ったときもご飯を一緒に食べたな。


お正月に実家に兄が帰ってくると、知らない間に電子辞書にお年玉を挟んでくれていたこともあったな。


ほぼ毎週日曜日は、兄と電話して、就活の相談にのってもらったり、両親はどうかなど話をしていた。


一度、私の一人暮らしの家に兄がきてくれたこともあったな。

ケーキを買ってきてくれて、そのケーキやさんの名前まで覚えている。


いろいろ思いだすとつきない。


でもその思い出の一つ一つに後悔もついてくる。



あの時、なんでこうしなかったのだろう。

あの時、なんで言わなかったのだろう。

あの時、なんで気づけなかったのだろう。

あの時、なんで。


兄はいつも弱いところを見せない人だった。

私にもいつも優しくて、五歳離れた本当に良いお兄ちゃんだった。


私は頼りすぎていたのかもしれない。

甘えていたのだと思う。


もっとこうしていれば。

もっとこんなことを伝えていれば。


亡くなる一週間ほど前にも電話していた。


なんで、あの時、。


私が自由奔放でなければ。

もっと家族のことを考えていれば。

私のせいかもしれない。


一つ一つ思い出すたびに、心の奥が苦しくなって、息ができなくなるときもあった。


外にいるのに涙が止まらないときもあった。


立っていられなくなるときもあった。


ご飯を吐いてしまうことも多くなった。



まだまだ自分は兄がいないことを受け止めるには時間が必要だった。