2024.6.19 | 橋本あや子のブログ

橋本あや子のブログ

2023年から山形県議会議員(寒河江市・西村山郡区選出)となった橋本あや子です。
日々の活動や思うことを綴っていきます。
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今日は気温調査日。
学ばねばならぬ事があり、レクチャーをお願いしていたため県庁へ!

ひとみ姉さまと愛さんと、いそいそと県庁食堂前のアイスコーヒーを買いに行きました。
優し(くて、めちゃおもしろ)いお姉様方です。

地下の売店では、すてきな芋おやつを見つけたので、思わず購入。肥大化に貢献しそうなので、これを昼食としました。美味しかった…。

お昼休みは国保労連さんの平和学習会へお邪魔してきました!
4月のはじめに六ヶ所村の原子燃料サイクル施設など現地を見学されてきた方(朝日町のYUKARIメンバーさん)が報告会をされるとのことで、ご無理を言って出席させていただいたのでした。


なんと今年度に入って、もう4回目の平和学習会とのことで、めちゃめちゃ驚きました。
学習会にも多くの方が参加され(椅子がすべて埋まるほど)、素晴らしい組合活動をされていると感じました。本当、表彰したいくらいです!

活動報告も写真と動画を活用されて、リアルで追体験できるようなものでした。
全国から500人ほどの参加者が集まり、交流をされたそうです。
そして、記念講演では、能登での反原発のたたかいとして、現珠洲市議の北野進さん(志賀原発を廃炉に!訴訟原告団長)のお話を聞かれたとのことで、資料を見ながら、どのようなお話であったかをお聞きしました。
珠洲に原発を建てていたら、今頃どうなっていたか…。
地震により炉心予定地は1m近く隆起、原発予定地の高屋地区では2m隆起しており、5mサイズの落石や地割れ、陥没など大変な状況であっただろうというお話から始まったそうです。
28年の長い戦いを経て、原発の計画は白紙撤回になったとのことですが、時代が時代だからか、それまでの経緯がすごすぎました。
珠洲原発の行方を左右する市長選の直前1993年2月7日に能登半島沖地震が発生したことや、安全神話を流布するビラやチラシが山のように出回ったこと、原発設置許可申請書に添付する資料に意図的に活断層を正しく載せていないものが出されているなどがあったそうです。
極めつけは選挙の投票総数が合致しない中(その他にも多くの不正が発覚)で原発推進派の当選がされるものの、3年後にその選挙結果が無効になったということでした。
当時のことを全然覚えてないんですが、すごいことが起きていたんですね…。

現在も日本国内では、複数の原発が稼働しています。何かあった際の避難計画もありますが、地震などの災害では自治体職員も被災しているなかで、建物ないも危険なところが多いなか、避難も屋内退避なども難しいことは容易に想像できます。
福島原発事故前とは被ばくの規制値も大きく変わっています。
子どもたちを守るためにも、『何か』あっては遅いと思っています。誰もが苦しむ当事者にならないように、この国に暮らすみんなで考えなければならない大きな問題です。

午後からは遊学館へ舞い戻り、
『荒野に希望の灯をともす』の県内合同会議に参加しました。

若奈さんと最後に撮りました!

谷津監督がいらしてて、映画映像には無い中村哲先生のお話をお聞きできたことが本当に良かったです。
このお話はまた後日!
たくさんの方にご覧いただきたいと強く願います。
寒河江の上映会は8月31日。

それまでに多くの方にお知らせしなくては!と焦りもある私です。