★熊本で大地震が発生しました。

被災された方々、お見舞い申し上げます。

月読さんのブログで、給水所、バッテリースタンド等の情報の記事が載せられていました。お役立てください。

 

”【熊本】給水所、バッテリースタンド等の情報” | 月読草子

 

 

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子供たちは、夏休みに入ったようですが、連日の猛暑日で、私は散歩も控えています。発表会前なので、もし熱中症にかかったら、生徒たちに迷惑をかけることになるので、気を付けています。

 

 

『月と六ペンス』1919年に出版された、サマセット・モームの小説です。私が読んだのは、土屋正雄訳です。

『月と六ペンス』は学生時代から知っていたのですが、始めて読みました。まず題名の『月と六ペンス』の意味ですが、とても重要なので、簡単な解説をするより、詳しく知ってもらったほうが良いと思い、下記のサイトをご紹介します。是非読んでください。

 

『月と六ペンス』の「六ペンス」とは何なのか――イギリス銀貨から読むモームの世界|丸狐

 

 

さて、『月と六ペンス』の意味がわかったところで、本題に入ります。

この小説はポール・ゴーギャンをモデルにした小説で、ゴーギャンはチャールズ・ストリックランドという名前で登場します。

作者は実際にゴーギャンに会っていた時期があるので、作者が実際に感じた感想や、ゴーギャンと触れあった人々から受けた印象を元に、小説は完成されていきます。

 

ストリックランドは家族を捨て、単身パリに移転してから、画家に転身します。40歳を過ぎてからの、一からの転身で、絵も上手くありませんでした。それでも描く情熱は強烈で、社会的道徳に反する行いもします。作者はそんなストリックランドの所業を憎みながらも、その類まれな才能に惹かれていきます。

 

ストリックランド夫妻はイギリスの中産階級で、夫のチャールズは株式の仲買人の仕事をしていました。

夫人はとても社交的な人で作者はよくパーティーに招かれていました。そこで1度だけ夫のチャールズ・ストリックランドに会うのですが、その時の印象はあまりありませんでした。

しかし、それから間もなくして、チャールズは妻と子供たちを捨てて、単身パリに行ってしまうのです。もう二度と戻らないから離婚をするようにと伝えられます。

作者はチャールズを説得する任務を任されて、パリに行くことになります。

その時、パリで会ったチャールズ・ストリックランド(以後、ストリックランドと書きます。)の変貌に驚愕してしまいます。

 

お金はほとんど持たず、ボロアパートの一室に住み、絵描きになることにしたと告げられます。もう40歳もこえていたのに、今までなんの絵心もなかったのに、急に画家になるというのです。作者の説得も効果はなく、収入も得られない貧しい画家の生活がはじまりました。絵は見た目にも、技術的にとても拙いものでした。そして描き上げた作品を1枚も売らないのです。

 

ストリックランドは食うや食わずの生活を繰り返しているうち、作者の友人でもある、ダーク・ストループに会うのです。ストループ自身も絵描きでしたが、作者の目から見れば、ありきたりの絵を描く、才能のない絵描きでした。それでも絵はそこそこに売れていたそうです。

ストループ自身は才能はありませんでしたが、真の芸術を見抜く目は確かなもので、ストリックランドの類まれな才能を一瞬のうちに見抜いたのです。

 

ストリックランドは重病になった時、このまま放っておいたら死ぬような状況だったので、ストループはストリックランドを自分の家に連れてきました。奥さんは猛反対したのですが、最後は聞き入れて、夫婦で渾身の看病をします。お陰でストリックランドは絵を描けるまで回復して、ストループは自分のアトリエを2人で使おうと提案します。

しかし、ストリックランドはアトリエを自分一人で占領してしまい、ストループは中に入ることもできません。

結局、ストリックランドに出て行ってもらうことになるのですが、なんとストループの奥さんのブランチも一緒に出ていくというのです。ブランチはストリックランドを看病しているうちに、恋をしてしまったのです。

それを聞いて、びっくり仰天したストループはなんと、2人を家に残して、自分が家を出てしまいます。

 

その後、ストリックランドはブランチの裸体の絵を描くのですが、絵が完成すると、もうブランチにはなんの興味も無くなって、家を出ていきます。失望したブランチは自殺をしてしまい、残されたストループは失意のどん底になりますが、自宅に戻ってみると、アトリエに1枚の裸婦の絵がありました。ブランチが描かれていたのです。怒りのあまり、キャンバスを破ろうとするのですが、その絵に素晴らしい芸術性を見た驚きで、絵を破ることはできなくなります。

ストループは故郷のオランダに帰ることになりました。

 

ストリックランドはその後、舟に乗って、各地を転々として、絵を描き続けて、最後はタヒチにたどり着くのです。

そこはまさに人生の楽園、ストリックランドはやっと安住の地を見つけたのです。食うや食わずの暮らしを続けていたストリックランドでしたが、タヒチでアタという少女と結婚します。

アタは地主の娘で、広い敷地と果樹の生る木々を持っていましたから、食べることには困らず、一日中絵を描けるようになります。

2人の子供にも恵まれ、心安らかな日々を送りますが、晩年、らい病に罹ってしまうのです。当時は不治の病で助かる見込みはありません。次第に皮膚が崩れていきます。

最期は目も見えなくなってしまうのですが、ストリックランドは見えない目で、家じゅうの壁に絵を描きます。

その絵は素晴らしいものだったそうですが、ストリックランドの遺言で、「自分が死んだら家も絵もすべて燃やしてほしい」という願いをアタは実行して、全てが灰になってしまったのです。

タヒチでは、幸運にもストリックランドの絵を手に入れた人たちは、大金で絵を売ることができたそうです。

作者は実際にタヒチにも、足を運び、ストリックランドと関わりのあった人々の話を聞いてまわり、この小説を完成させました。

 

ゴーギャンの絵は、画集で見た、タヒチの自然や人々の様子を描いた絵の記憶は残っていますが、実物を見たことがありません。

一度、実物を見てみたいと思いました。

 

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7月の始めに少しだけ散歩して時の画像です。

 

今年は会えないかもしれないと思っていましたが、会えました。ラミーカミキリです。

 

コミスジにも会えました。

 

 

ノウゼンカズラが咲いていました。

 

 

道端にも咲いているヤナギバルイラソウです。

 

紫陽花の間にアガパンサスが咲いていました。

 

田んぼにはヤブカンゾウが咲いていました。

 

 

ネムノキノの花を、盛りを見られませんでした。

 

野菊の仲間、ヨメナです。

 

モナルダ(ベルガモット)です。

 

 

検索したら、シムラニンジンという答えでした。

 

 

 

早岐瀬戸ではハマボウが満開になっていました。

 

 

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★発表会準備の為、弾き語りの更新はできませんでした。

2年前に載せた、「時には昔の話を・盛夏」をご覧ください。

 

 

 

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