あの時。
告知をされた時に、何故、担当医は「乳がんは今や『治らない』がんじゃない!一緒に頑張って治療しましょう」
・・・そう言ってくれた無かったんだろうかと、そう思います。
その一言さえあれば。
あんなにも、不眠や食欲不振や狂ったようにいのちの電話に電話することも、無かったのに
なんだとても残念です。。。
ただ、担当医は執刀医じゃありません。(今回の手術に関しては。全摘専門のお医者さんとの事でした)
ただ、私の手術の補助に入ってくれていて、私のがん細胞をとって、私の母に「こんな感じで取れました!リンパにはがんの細胞、行っていませんでした!」って言ってくれたのは担当医でした。
そして。
手術をする前に「こんな風に、あなたの胸はなるんですよ?」っていう写真を見せて欲しかったです。(本当はダメなのかしら)
何故ならというと、お風呂に毎回入るたびに、後悔しているからです。
温存手術をした事を。
私が手術した跡はというと、がん細胞と縫代を含めて、多かったので、少しへこんでいます
そして、それは一生付き纏うのです。。。
手術する後にやっと執刀医と出会うことが出来ました。
手術の前に執刀する先生と挨拶をしたと過去ブログで書きましたが、訂正します。
どうやら、挨拶したのは麻酔科の先生と、あとは補助の先生だったようです。
それを私は執刀医だと勘違いしていたようです
入院してから毎日、私の担当医は病室に来てくれていました。
「痛みはどうですか?」「眠れていますか?」と。
私は答えました。
「ドレーンの管を刺している部分がとても痛いので、眠れていない日が続いています」と。
人によっては、ドレーンの管を抜いたあと、自然に傷口が塞がらずに、縫う人も中にはいるんだそうです。
(幸いにして、というか、私は縫わないで済みましたが)
リハビリのイメケン(まだ言うか)先生と毎日楽しい時間を送って。
時々「教授回診か!?」って思わせるぐらいの多くの医師、看護師さん達が来たこともあります。
そして、私が持っていた(その当時は2016年版でしたが)「乳がん診療ガイドライン」を物珍しそうにパラパラと見ていきました。(最新版は2019年版です。3年ぶりに内容がリニューアルされました)
そして「へぇ、患者さんでこの本持ってる人、珍しいよ」と、そう付け加えて。
実は、告知された後、何をしたかというと実はウィッグのパンフレットを集めたこととと(その時は抗癌剤の治療をするかどうかまだ分からない段階でしたが。混乱したんでしょうね、告知されて)
後は、ピンクリボンアドバイザーのテキストをネットで注文したことでした。
そこで、私の目標が出来ました
「絶対に今年、初級を受けるんだ!」って
「生きる」目標を作ること。
本当に大切だと思います。
そして、私の場合は、ピンクリボンアドバイザーの資格をとることが目標となりました
あなたがお医者さんにかけてもらいたかった言葉はなんですか?
もし良かったら、教えてくださいね