これは、わたしの妄想です | ココのアセンション日記

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これはわたしの妄想です



ネットを見てたら、新大久保に、

両班(ヤンバン、又はリャンバン)

という名のお店があるらしい。



トッポギとか好きだけど…



しかし、わたしはなぜか、

これはまずい、大変だ!

と思ってしまいました


もしかしたら、両班こそが

日本を侵略している人たちなのではないか、そう思えてきたのです



ブログで少しふれたのですが






まずは、

韓国ドラマで両班を学んでみました

※一部画像はネットより



貴族階級 両班(ヤンバン)


両班(ヤンバン)は、

高麗(コリョ)時代から朝鮮(チョソン)王朝まで朝鮮半島を支配した貴族的な階層のことだ。


もともとは文班(行政官吏)武班(軍事官吏)の2つの官職を総合して呼称する用語だったが、最終的に支配階級を総称する言葉として使われるようになった。


韓国時代劇を見ていると、人物の身分を表すときに「両班」(ヤンバン)がよく登場する。この言葉を詳しく説明しよう。



高麗王朝は国教が仏教だったが、朝鮮王朝では儒教に代わった。そのため、朝鮮王朝は典型的な儒教国家であった。


儒教は人間の身分の違いを認める思想がある。それによって、朝鮮王朝では厳格な身分制度が採用された。


王族は別格なので身分制度には入っていない。そして、身分制度のトップが両班であって、いわば貴族階級だった。








その以下を見ると、両班の下が中人(チュンイン)で医者や通訳といった専門職を持つ人たちが該当した。


中人の下が常民(サンミン)である。該当するのは農業、商業、工業に従事する一般庶民であった。当然ながらこの常民が一番人数も多かった。


常民の下に位置付けられたのが賤民(チョンミン)であり、奴婢(ぬひ)、奴生(キセン)、芸人などが該当していた。




以上のように朝鮮王朝の身分制度は、両班、中人、常民、賤民のように厳格に決められていて、両班が下の者たちに君臨していた。


この両班をもっと具体的に言うと、地主階級で裕福であった。しかも、子供たちを学業に専念させられるので、科挙(官僚の登用試験)に受かる人は両班ばかりだった。


出典:  Wikipedia



科挙(カキョ)は難関だったけど、受かれば特権階級になれた



リンク




しかし、両班でありながら科挙に受からない息子たちも多い。そういう人間は親のコネで下級官僚に採用されたりしていた。


このようにして、両班は自分たちの特権を利用できる制度を作りあげていた。彼らの支配が朝鮮王朝の隅々まで行き渡ったのだ。


なお、両班の男性たちは成人して妾を持つことが多かった。仮に妾が奴生(キセン)だったりすると、生まれてくる子供も賤民になった。




※出典: キセンwikipedia



なぜなら、両班同士の結婚であれば子供も両班になれるが、相手の女性の身分が低ければ子供もその身分に合わせなければならなかったからだ。


いずれにしても、両班は朝鮮王朝の特権階級として君臨し、横暴な振る舞いで一般庶民から怨まれることが多かった。


文=康 熙奉(カン・ヒボン)


転載元リンク





本題はこれからです


その両班が、身分制度をいい事に

横暴を重ねたため


豊臣秀吉が朝鮮出兵でやっつけたと言うのです




そして、生き残った両班が、奴婢(ヌヒ)を連れて日本に逃れてきた



そこから日本の受難が始まった



もし、

第二次世界大戦のあと、

朝鮮総連が台頭したのも

潜伏していた両班の勢力だったとしたら…



奴婢(ヌヒ)は、生まれた時から奴婢として一生を生きるしかなかった

悪いのは彼らじゃない

彼らこそ被害者だ



誰も助けてくれなかった



奴婢はとことん虐げられ、

行き場のない深い悲しみと、絶望の中で

池田◯作という救世主を見た


しかし


信じた池田◯作は、両班だった…



これが、もし、

創価の始まりだったとしたら…



わたしは涙しかない🥲




わたしは思い違いをしていたのか…









































妄想おしまい