日本が攻め入った朝鮮は、

中華思想であり、とても

身分の差がはげしく

両班(やんばん)と言われる

貴族たちが、

民衆から富をしぼり

とっていましたショボーン





 ※ 画像はこちらからお借りしました↓




というわけで、王朝とか貴族は

民衆から、さんざん

うらみをかっている

という状況にありましたタラー



日本が朝鮮に

攻め込んでみると…


『解放軍だ~!!』

爆笑爆笑爆笑といって、

民衆からは、

喜んで受け入れられた

そうです(笑)



いつも、何もかもうばって、

ひどいことをする

両班たちを、日本人が

やっつけてくれる爆笑と。



そして朝鮮の民衆が、

一緒になって両班を襲う

という事態になりました…(笑)



首都のソウルでも、

そのような騒乱が起こってしまい、

年貢の戸籍などを管理していた

朝鮮政府の倉庫が、

朝鮮の民衆によって

焼かれてしまった炎

のですびっくりびっくりびっくり



そのようなところに、

日本が入って行った

わけであります(^^;


日本軍が入る前に、

もうすでに朝鮮の政府が

焼かれてちゃってるよびっくりびっくりびっくり


攻める方もビックリですよね~アセアセ


ということだったのですが、

今の韓国の歴史教育では、

日本人が朝鮮政府を攻めた!!

日本人はひどい!!

ということに

なっているみたいですタラー



この当時の様子を、宣教師は


最初、日本軍は、

解放軍として

むかえられる。


と、ちゃんと書いているそうです。


キリシタン大名である、

小西行長(ゆきなが)という人が

朝鮮に行っています。



どうやって日本が朝鮮に入ったか
といいますと…


秀吉はまず、九州に

名護屋城(なごやじょう)という

お城を築きました。



そして、ここから

20万の兵が

鉄砲を持って、

対馬を通り、

朝鮮の釜山(プサン)

渡ります。


朝鮮にも短い期間で

お城を築いたというので、

秀吉は、ちゃんと計画的に、

みんなの合意を得て、

朝鮮に向かった

と言えます。


決して秀吉が、ボケちゃったとか、

気が狂ったとか、欲が強いから

朝鮮に攻めに行ったとは

言えないでしょう…


ボケた人のために、

みんながそれに協力して、

資材を運んで

お城を築くでしょうか??


そうしてここから一気に

ソウルを落とします。




ところが、民衆を放っておいて、

朝鮮の王様はなんと!

逃げ出してしまいますガーン


そんな情けないことは、

日本の武士たちには

考えられないことですタラー


逃げ出した王を追って

小西行長の軍は、

平壌(ピョンヤン)まで落としました。





一方、加藤清正(きよまさ)の軍は、




ずっと北上していき、

今のロシア国境まで

行っていますびっくり




そこには、多分、女真族であろう、
オランカイと言われる、忍者のような
なぞの部族がいたそうです。

たちまち現れたり消えたり…ガーン
その部族には王もいないタラー

これは戦っても相手にならない
ということで、
ここから攻めるのはやめよう
ということになりました。

こうして朝鮮の主要部分は、
朝鮮の民衆の力も加わり、
占領されました。

これが、
第一回目の朝鮮出兵
となります。

そして朝鮮国王は、
明朝の国境まで逃げて、
明に助けを求めました。


そこで明が援軍を出したのが、

李如松(リ・ジョショウ)という人。





明は、ポルトガルから仕入れた
大砲を持っていましたガーン

そこで明の援軍と日本軍は、
ピョンヤンで和議に入りました。

秀吉は、最初、明を滅ぼして、
北京(ベキン)まで行く予定でしたが、
それは無理なので、

和議の条件として、

明の皇帝の娘を、オレの妃にしろ

と言います(笑)
それから、

もうかるから、
旗合(かんごう)貿易を復活させろ、
でも頭は下げない!

という条件を出しました(^^;

明は貧乏になっちゃったから
たくさんのお返しを渡す貿易は
もう無理ですよね(^o^;)

こんな要求は、明の中華皇帝様が
のむわけがありませんタラータラー

もう戦争をやめたい小西と、
李如松はどうしたでしょうか??

どうして日本軍は、
戦う気がなくなってしまったのか?

続きは次回にお話をします♪