自分で自分を責める心の声を、心理学では「超自我」と呼びます。
超自我は、こうあるべきだ!と言う規律や規範などを自分に対してうるさく言ってくる、心の中にいる厳しい上司です。
この心の上司の厳しさが程良いものならばいいのですが、厳しすぎるとパワハラになります。
本当はゆっくりしたいのに、心の上司から「そんなにだらだらしていていいのか?」とか「お前は怠け者だな」とか言われる。
その厳しい言葉から逃れようとしても、「逃げるのか?卑怯者」とかなんとか言いながらしつこく追ってくる
多くの場合、現実は超自我よりマイルドです。
「お前は性格が悪いから、〇〇さんから嫌われているぞ!」と心の上司が言っているとしても、実際には〇〇さんは何とも思っていなかったりします。
でも、心の上司からそう言われると、自分でも「そうかもしれない・・・」と思い始めます。
実際に〇〇さんに会っても、態度がよそよそしくなってしまい、〇〇さんも「なんだ、あいつ??」となる。
その結果、「やっぱり自分は〇〇さんから嫌われてる!」となり、孤独さが増してゆき、自分と会話する相手は、心の上司(超自我)しかいなくなる。
こうなると、心が苦しくて苦しくて、「もうどうしていいか分からない」となります
「分からない」とか「どうしていいか分からない」という言葉は、「助けてほしい」という意味です。
だけど、そうは言えない。
助けて欲しいなんて言ったら、心の上司(超自我)に「なに甘ったれたこと言ってんだ」「みんな忙しいんだよ。迷惑かけんじゃねー」ってまた怒られるから。
カウンセリングにいらっしゃる方も、「分からない」を連発する方は少なくありません。
心の中の上司が厳しすぎて、それしか言えなくなっているんだなーって思います。
*超自我だけじゃなく、現実にいる上司や両親などが厳しいことも多いです。
そんな中で勇気を出して、「分からないんです」ってカウンセラーの私に言いに来てくださった。
「こんなこと、先生にしか言えません」って私に言いに来てくださった。
言葉にならない想いを言葉にした瞬間、それは形に変わります。
忙しいとは、心が亡くなると書きますが、忙しい時は心を見失っているだけです。
心の声が「形」になる時、忙しさは一瞬止まります。
そして、自分は誰かと話したかったんだと気づきます。
心の中の上司(超自我)ではない、現実にいる誰かと話したかったんだと。
そこに気づけると、形が更に変わってきます。